1、紫乃さんのお人形
[ 降雨記録 ]
水玉みかんさまから頂いたBBSへの書き込み
新吾、摩利、夢殿先輩の指人形。
みんなに披露したらどんなにウケるか考えて 「うっふっふ」と一人笑いをしながら、ちくちくと針を動かすそのお姿(想像)。
でも、何であんなに見事な出来映えなんだ?
あれは絶対に初めての作品じゃない!
もしかして紫乃さんのおうちには、登場人物全員のお人形が?
(手芸の得意な内弟子さんに、「摩利の目はもっと大きく、これこのように…」
とか扇子で指図しながらごろりと横になってる…。真相はこっちかもしれませんが)
[ 雨後の竹の子 一本目 ]
扇子で指図しながらごろりと横になっている紫乃さん

空は雪雲、底冷えの夜。新年のにぎやかなお座敷を背に奥へと向かう芸者さんが一人。
からりと障子を開けながら、 「今日は紫乃さんが来ているから、お座敷を早めに切り上げて…」
声をかけられても振り向きもせず、紫乃さんはあんどんに向かって手仕事中。背中に黒髪が艶やかな影。 火鉢の上で鉄瓶がしゅんしゅん。遠くに三味線の音。お座敷が別世界みたい。

紫乃さん 「肩がこるのう…」
芸者さん 「まあ、紫乃さんがお針? なんて水臭いことを。こんな商売してたって私だって女のはしくれ、 大事なあなたの繕い物なら喜んで…。」
紫乃さん 「寂しがっとるみんなが喜ぶと思うと、あれもこれもとつい欲が出る。」
芸者さん 「え? お人形? 持堂院の…。」

言ってしまった手前、後にひけない芸者さんが、妹分たちを呼び集めてマニファクチュア の世界。 かたわらに、ごろりと横になって扇子で指図モードの紫乃さん。
え?お姐さんの膝枕?さあて、紫乃さん相手にそんな野暮は言いっこなし。うっふっふ。
やがて、人海戦術の甲斐あって予想外に手早く完成。そして、意味深に暗転。

桃太郎 「しのオ… おまえとうとう本格的変態に」
ルミィ 「紫乃先輩、一人で一晩で3つとも作ったんですか? 活動の小道具でも食っていけますよ」
紫乃さん 「うっふっふ 夜なべにもいろいろあるからのう。」
鉄之介 「わ!な、なんです、そ、そんな意味深な!」
白菊丸 「…」(無言で赤面)
鴨さん 「いやー、日本男児ですなぁー、いやー」

夢殿の人形 「相変わらずだなあ、紫乃は」(頭を掻きながらため息をつく)
摩利と新吾の人形 「それでこそ、紫乃先輩ですよ」


[ 雨後の竹の子 二本目 ]
ひとりでお針をちくちく運んでみたり

暮れの大掃除も終わったというのに、紫乃が押入れでごそごそしている。
「若師匠、なにかお探しものですか?」
声がかかるまで人の気配に気づかないのは、ちょっと紫乃らしくない。 その照れ隠しか、ことさら返事がそっけない。
「いや、いい。用は済んだ」

障子や襖を締め切った自室で、引っ張り出した竹行李を開ける。
「花街に通うようになってからは、ほとんど着なかったから色もあせておらんな。 新吾たちのためなら、惜しくもない」
♪〜梅は咲いたか、桜はまだかいな…と鼻歌交じりに自分の持堂院時代の制服を裁断する。 手にした裁ち鋏(はさみ)は、師走の寒気を吸い込みひんやりした感触のためか重量感を増している。 厚手の紺サージを裁つざくざくした感触。
「お神酒徳利、♪〜 おひさま新吾か、お対(つい)は摩利かいな…っと。はいはい、忘れておらんよ、 夢殿さん。あんたは、結構、ひがみっぽいところがあるからのう。うっふっふ。」

「若師匠、お弟子さんがお待ちですが」
廊下から内弟子の声がかかる。膝の前に散らかした一式を竹行李に片付けるにも舞の 表情を見せる紫乃の指先だ。
「おや、もう、そんな時間か。」
どんな時でも平静な声音は舞台度胸のうちかいな。

後ろ手に障子を閉めながら、廊下に控える内弟子が部屋の中へ送る好奇の視線を、さり気なく遮る 紫乃の立ち姿。
「今日は、通いのお嬢さんたちのお稽古納めですが…」
「そうか、ではこれはもってゆく訳には行かないな。」
紫乃に愛用の皮のムチを渡されて、内弟子が着物の袂で受け取る。
「♪〜猫になりたや〜 この家(や)の猫に…」
廊下の陽だまりで自分のことだけで手一杯という風情で身づくろいをする猫を眺めながら、紫乃が稽古場に向かう。

年の瀬も迫った今日は稽古半分、暮れの挨拶半分。それでも、冬至の頃の東京なら4時ともなれば薄暮時だ。 「良いお年を」と声を掛け合いながら帰ってゆく娘たちを見送る暇も惜しんで、 紫乃はそそくさ部屋に引き上げた。紫乃の父と内弟子たちは、相変わらず釈然としない。
「日が暮れたというのに、あいつが部屋に戻るのか?」
「はい、昨日から、ずっと部屋でお一人で…」
「誰かに話し掛けるように、楽しげな声は聞こえるのですが…」


紫乃がお篭もりしてしてかれこれ3日。1914年も残すところ数日、いつもと違う足音が近づいてくる。 軽いけれど踊りの足運びがしっかり叩き込まれた歩き方だ。
「はて? この暮れに?まさか…」
針を運びながらも、聞き間違えるはずのない足音にふと耳を澄ます。
「紫乃さん、入りますよ。いいかしら?」
答えを待つまでもなく、ひさ子が障子を開ける。

「おや、ひさ子義姉上、また、急なお里帰りで。何かおれに用でも?」
「別に、用って事はないけれど、私だってたまには紫乃さんの顔を見に実家に寄ってもいいでしょう?」
「母上あたりですか、暮れの忙しいさなかに義姉上を引っ張り出して。」
「また、紫乃さんったら、そんなふうに。うふふ、でも、あたらずといえど遠からずだわ。 お父様がお困りになって様子を見に来てくれって、婚家(うち)にわざわざ俥をまわして下さったのよ。」
「親父どのが? 困る?」
「紫乃さんが誰も部屋に入れないから、様子がわからないって。 それに、お父様は花街できれいどころに紫乃さんがどこにいるのか と聞かれては、家に篭もっていると答えても誰にも信じてもらえないのですって。」
「それは誰も信じないでしょうな。あの親にしてこの息子だからのう。 どこぞの新しい女性(にょしょう)にでも通いつめて、馴染みにはご無沙汰と思わるのがオチだ。うっふっふ。」

「それで、紫乃さん、いったい…」
「いったいって、ご覧のとおりですよ。やましいことなど何もない。持堂院卒業生の新年会に持っていこうと思って、 人形を作っているだけです。」
「新年会のための人形…?それは、やましくはないでしょうけれど…。」
「あらかたできたから、おれのお篭もりも、もうじき終わりです。ひさ子義姉上も災難だ。 おれが家出しても、篭もっても呼び出される。」
「うふふ、ちっとも災難なんかじゃないわ、紫乃さんのことなら。」
束ねた巻き毛を揺らしながらかぶりを振るひさ子の癖は一生変わらないだろう。
―― おれにも一生変わらないものはたくさんありますよ、義姉上。
「そうそう、せっかく来たのだから私もお人形づくりのお手伝いをさせてもらっていいかしら。」
「はて。では、義姉上には新吾の目を入れてもらいましょうか。義姉上にも紹介したおれの大事な念弟です。 人形になってもいい男でしょうが。うっふっふ。」
―― そして一生、おれは義姉上の弟です。
「まあ、うふふ…。」
1年前、今の婚家からの縁談を受けると決めた時の気持ちを思い出したのか、 笑顔のままかすかに涙ぐむひさ子に、紫乃のしなやかな指が新吾の人形を差し出した。
―― あなたの目元と新吾の目元が似ているとは、到底、気づきはせんでしょうが…
桜色に頬を染めた新吾の人形だけが、紫乃のつぶやきを聞いたかもしれない。
( 2000.6.14 up )


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