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ミネルバのフクロウは宵闇の訪れを待って飛び立つ


第 六 話


 作業のない日、アフロダイAの格納庫は人気がなく昼間も薄暗い。中庭に面したくぐり戸が開いた。人ひとりが通れる扉から、外光とともにシローが入りこむ。
 「忘れないで鍵かけとけよ」
 甲児が声を張り上げる。シローがこちらを向いてこくっと首をふり、内鍵を操作するのが見えた。
 「ふう、重かった」
 シローが甲児の横に水の入ったバケツを置き、天井を見まわした。二人がいる一角だけ頭上が明るい。
 「ここだけ照明がついてる」
 「ああ、暗いとパンクの穴も見えないだろ。おまえが水をくみに行ってる間につけて来たんだ」
 甲児が中二階にあるガラス張りの制御室を目で差した。やはり人の気配はなく、電気も消えている。
 「だけど、おにいちゃん、人づかい荒いよ。こんなに暑いのにプールまで水をくみに行かせるなんて」
 「人づかい荒いのはどっちだ。昨日は算数の宿題、今日はパンク修理」
 「格納庫の中にだって水道があるじゃないか」
 「全国的に水不足だっておまえも知ってるだろ。パンク修理に水道の水なんか使わないの」
 「はいはい、琵琶湖の水位が54センチ下がったって、ニュースで言ってました」
 「わかってんなら文句言うな。これだけすっきり霧が晴れりゃ、まちがってプールに落ちる心配もない」
 「まったく弟思いの兄貴だよ。おかげで途中で日干しになるかと思ったよ」
 「ぶつぶつ言ってないで始めるぞ」
 甲児が自転車の横にしゃがみこんで、前輪そして後輪と親指で押した。どちらもべこべこだ。
 「両方これで、荷物積んで泥道じゃ、大変だったなあ」
 心底同情する兄に、シローもしゃがみこんで、
 「そうなんだ。うしろのパンクだけなら、まだ、だましながら走れたんだけど、前も空気が抜けちゃってまいったよ」
 「ほら、荷台のサイドバッグをはずせ。ぬれるぞ」
 「あ、うん」
 シローが荷台の左右から小さなサイドバッグをそそくさはずした。甲児が「よいしょ」と車体を持ち上げ、ひっくり返す。
 「さかさにした方がやりやすいんだ。特にこういうサイドスタンドの自転車は」
 「なるほどねえ」
 シローが感心する。専用の工具など使わない。自宅の物置から持ってきたのは、大ぶりのマイナスドライバーだ。
 「タイヤをはずすのに少し力がいるけど、あとはおまえでもできるから、よく見て覚えろよ」
 ホイールにドライバーを差しこんだ。ぐっと力を入れると、タイヤが外れる。しゃべっていても要領良く仕事は進む。
 やっぱりおにいちゃんはなんでもできるんだ。思わず知らずシローは得意満面だ。
 「よかった。これで明日は出かけられる」
 「どこに行くんだ」
 手をとめて弟の顔を見る。
 「秘密、へへ」
 「なんだ、秘密って」
 「秘密は秘密だよ。そうだね、ヒントは水不足ってとこかな」
 「なにがヒントだ。そんなことより、後輪のバルブとナット、なくさないようにサイドバッグの中にでも入れておけ」
 甲児に言われてシローが床から指先ほどの部品を拾い集める。
 「だけど、むし暑いなあ。せっかく制御室まで行ったのに、なんで冷房入れなかったの」
 「仕事じゃないんだから、冷房なんて入れられるかよ。第一、これだけ広い格納庫だぞ。今からスイッチ入れたって、涼しくなる前に修理が終わってるさ」
 シローは八階まで吹き抜けになっている天井を見上げる。兄の言うことはもっともだが、物音ひとつしない空調の送風口が少々癪(しゃく)だ。
 「日がまわったら、もっと暑くなる。さっさとすませるぞ。ほら、天井見てないでバケツをこっちに持って来い」
 シローが「よいしょ」と、後輪の横にバケツを持ち寄った。
 格納庫の一番奥でアフロダイAが塑像のようにたたずみ、二人の修理作業を見おろしている。薄暗がりの中で操縦者のいないレディーロボットは物静かで穏やかな空気をまとっている。
 しかし繊維室のさやかは穏やかな気分ではない。
 のっそり博士は常識と正論を説いている。反論の余地はない。だから一層さやかは悔しい。
 「お待たせしましたな、お嬢さん、のっそり博士」
 せわし博士ともりもり博士が戻った。
 「お嬢さんのジャンプスーツのメンテナンスも終わりましたよ」
 もりもり博士が二個の衣装ケースを持ちくらべ、
 「こちらですな」
 と、さやかの前に置いた。
 「甲児くんのは、あとで保管庫に持って行きますよ、せわし博士」
 「すみませんね、もりもり博士。そのうち甲児くんが取りに来るでしょう」
 中を見なくてもわかるほど重さがちがうなんて――。
 さやかはこれまで気にも留めていなかった事実に気づく。
 「おお、もう、採寸は終わったんですな」
 せわし博士がバインダーの手書きの数字に目を通してはりきる。
 「ピンクを中心にして白はアクセントに、と。よろしい、お嬢さんのご希望もわかりましたぞ。では、いそいで型紙を起こして、生地の必要量を計算しましょう。なにしろ、今回始めて実用化する生地だから、わたしたちの手で作らないことには」
 「せわし博士、もりもり博士、あたしのガードスーツですが」
 こらえ切れずさやかが話を蒸し返す。
 「お嬢さん、むちゃを言ってはいけません」
 のっそり博士がさやかをなだめ、せわし博士たちに「実は」と説明した。
 「だって、アフロダイAだって機械獣と戦うんですもの。防御は完璧にしなければなりませんわ。あたしのガードスーツの必要性を、三博士は良くご存知でしょう」
 さやかがまくしたてる。もりもり博士がもうひとつのスーツケースを差し出した。
 「持ってごらんなさい」
 ずしっとした重量感が伝わる。
 それだけたくさん超合金Zを使っているということだわ――。
 さやかの頬に負けん気がただよう。もりもり博士は逆効果だったと悟って言葉を尽くす。
 「ガードスーツが重くて身動きが取れなければ、防御もなにもない。重いものを着ていたら疲労も激しい」
 「あら、仕立ての良い服は身体になじむから、着てしまえばそんなに重く感じないはずですわ」
 「感覚の問題じゃありません。戦闘中は興奮のあまり骨折しても痛いと感じなかった、なんて珍しい話ではない。いいですか、お嬢さん」
 突然、せわし博士が手を打って、
 「防御力、疲労と疲労感。感覚じゃない。なるほど」
 と叫んだ。話の腰を折られたもりもり博士と、きゅっと唇をかんで反論の機会をうかがっていたじゃじゃ馬娘が、拍子抜けした顔を見合わせる。
 「ああ、続けてください。もりもり博士の言うことは、実に、正しい。まっこと、正しい、ですぞ」
 せわし博士は悪びれもせず、二人の顔を交互に見てそれだけ言うと、背中に腕を組んで室内をせかせか歩き始めた。
 ひたすら自分の足先を見つめて歩き回る。
 考えごとをする時のせわし博士の癖には、もりもり博士もさやかも慣れている。歩き回るせわし博士はそのままにして、すぐに自分たちのペースを取り戻した。
 「いいですか、お嬢さん。戦局によっては一日中、いや何日だってガードスーツを着たままになるかもしれない。そうなれば気持ちだけでは持ちこたえられるはずがない。
 戦いの場での無理は文字どおり命取りです。最初は軽すぎると感じるくらいでちょうど良いんです。
 現に、この前、山中湖で長時間泳ぐ羽目になったばかりでしょう。重いスーツを着ていたら、今ここに無事にこうしてはいられなかったはずですよ」
 「だって、もりもり博士、これは腕や足のプロテクターの重さもあるんでしょ」
 さやかがわざと軽そうな仕草で、甲児のスーツのケースを作業台に置く。
 「あたしはプロテクターまでは望みませんわ」
 じゃじゃ馬娘に譲歩する気はない。のっそり博士ともりもり博士が渋面を見合わせる。
 はたと、せわし博士が立ち止まった。目を閉じ腕組みをして天井をあおぎ、早口でつぶやく。
 「疲労感、疲労。それは問題ですが、さはさりながら、さりながら、ですぞ、防御力が大きいに越したことはない。
 その点では、お嬢さんの言うことにも一理ある」
 「せわし博士」
 驚くもりもり博士とのっそり博士に、せわし博士がわかった顔で言う。
 「もちろん重くて身動きがとれないでは本末転倒です。だからこそ、のっそり博士は新しい生地を開発した」
 あごひげに手を当てて今度はうつむく。さやかたちは、ぶつぶつと考えをまとめるせわし博士を見つめる。
 「しかし逆の方向から考えるのも、ひとつの方法。可能性があるか、ないか。いや、可能性の有無を検討しようにもデータがない。ならば、まずはデータをとることからじゃ。安全性を高めるためには、手間を惜しんではならん、うん」
 せわし博士が顔を上げ、にっと笑って一同を見まわした。
 「疲労感という抽象的な言葉では問題は解決しない。となれば、超合金Z繊維がお嬢さんの身体にどれだけ負担になるかを測定する。そして、その測定結果に基づいて検討する必要がありますわい」
 「そんな測定と言っても、なにをどうやって測るんですか」
 もりもり博士がいぶかしそうに眉をよせる。せわし博士の答は明快だ。
 「測るのは、超合金Z繊維を着用した場合の筋肉中の乳酸量の変化、それと心拍数の変化、ガードスーツ内の温度の変化というころですかな」
 のっそり博士が納得する。
 「なるほど、筋肉中の乳酸量は疲労のバロメーターだ」
 「そうです。筋肉は取り出せないから、実際に調べるのは血液中の乳酸値ですがね。そう、注射器で採血します。それともお嬢さん、注射は嫌ですか」
 やや挑発めいた口調でせわし博士が言う。
 「いいえ、ちっとも」
 勝気なじゃじゃ馬娘のつんとすました顔に、もりもり博士とのっそり博士が笑いをこらえて目線を交わす。せわし博士も「ふむ、結構」と丸眼鏡の中で笑いをこらえ、
 「どうやって測るかというと、お嬢さんに、超合金Z繊維を着用の上でアフロダイAを操縦してもらいます。心電図など測定機器をコクピットに持ち込むから、アフロダイAは動かさず、シミュレーションにしておきましょう」
 「じゃあ、その結果次第では」
 さやかの声がほぐれて明るくなった。
 「そうです。ただし」
 せわし博士がさやかに向かってずいっと一歩踏み出し、すっぱり言い切る。
 「ただしですぞ、測定結果に基づくわたしたちの判断には、従ってもらいます。それが約束できないなら、最初の予定どおりにします。よろしいですかな」
 一瞬さやかは言葉につまるが、「はい、わかりました」と答えてしまう。
 「よろしい」
 せわし博士が背中で腕を組んで胸を張り、肩をゆすって笑う。のっそり博士は困惑顔だ。
 「そうは言っても、せわし博士、わざわざ測定シミュレーションのために新しく繊維を作るとなったら…」
 「大丈夫、大は小を兼ねます」
 せわし博士がおもむろに自分の道具箱を開けた。
 「これ、このとおり、超合金Z裁縫セットがあります」
 ロマンスグレーのあごひげの博士が、取り出した超合金Zの縫い針と超合金Z糸、そして超合金Z製の裁ちバサミを手に仁王立ちになる。
 「立派なリサイクルです」
 「なるほど。われわれ三人でかかれば、あっという間ですな」
 もりもり博士が栗色のあごひげをなでて、大きくうなずいた。
 
 
 甲児が両手でバケツの水にチューブを押し沈めた。ぬるい水の中に、ぽこっと大きな泡が浮き上る。
 「派手にやったなあ。大きい穴があると小さい穴を見落としやすいから注意しろよ。穴はひとつと限らないからな」
 黒いチューブを引き上げ、照明を反射させながら大穴の周囲を指先で丹念になぞる。
 「ホチキスの針だって、刺さり方が悪けりゃパンクするんだぞ」
 「へえ」
 シローが甲児の手先をじっと見つめる。格納庫の気温は確実に上がって、二人とも顔にも背中にも汗が流れている。
 穴を見つけたら乾いたぼろ布でチューブを拭いて、紙やすりでこすって、それから…――。
 「おにいちゃん、ちょっと待って。前輪はぼく、自分でやる」
 「うん?」
 「見てるだけじゃ覚えられそうにないや」
 おれがひとりでやっちまったほうが早いんだけど。まあ、シローに覚えろって言ったのはおれだしな――。
 「最初にタイヤをはずすんだよね」
 「自分の手を突っつくなよ」
 暑さも忘れて、シローが一心にドライバーをホイールに差しこむ。甲児は横にしゃがんで、せかすでもなく弟のおぼつかない手つきを見守る。
 「思ったより硬いや。…はあ、はずれたぁ」
 なんとかチューブを引っ張りだした。もう一仕事した気分だが、出かけたため息をかみ殺し、今さっき見た兄の作業手順を思い出す。
 「ありがと、おにいちゃん」
 いつの間にかシローの膝頭にバケツがあった。
 「おい、その前に…」
 甲児が止める暇もなく、シローがさばっとチューブを水に突っ込んだ。が、泡らしい泡は上がらない。
 このぶんじゃ終わるのはお昼過ぎになりそうだ――。
 甲児が苦笑とともに立ち上がった。
 「どうして?」
 首をかしげてバケツをのぞくシローの横に、甲児がガチャッと音を立てて空気入れを置いた。シローが手の中のチューブを見る。パンクして一昼夜過ぎたチューブは空気が抜けてしなしなだ。
 そうか、水に突っ込む前におにいちゃんは空気を入れたっけ――。
 シローは神妙な手つきでチューブのバルブに、空気入れの金口を差し込んだ。
 「手、離すなよ」
 「うん」
 甲児が空気入れのフットステップを踏みつけて、ハンドルに手をかける。
 「こんなもんでいい」
 空気の入ったチューブをバケツに突っ込んで、シローの作業が再開した。
 「そんなに濡れてたら接着剤がはがれるぞ。もっとしっかり水気を取れ」
 シローとしてはちゃんとふき取ったつもりだが、甲児の目には不合格らしい。こんな時は文句を言っても始まらない。シローは素直に乾いたぼろきれを持ち出して、もう一度ふきなおす。
 「パッチを当てる時は空気が入らないように注意しろよ。こうやって…」
 格納庫の上の方でバシンと金属音が反響した。兄の手元に注がれているはずの弟の視線がよそに行っている。
 「おい、どこ見てるんだ、シロー」
 「ごめん。でも、ほら、アフロダイAのコクピット、誰か来たよ」
 「そういや、ハッチの閉まる音がしたな。今日は作業しないって聞いてたけど」
 「アフロダイAを外に出すのかな」
 「格納庫の入り口が開いたら、まともに日が当たる。こんなとこ、居られたもんじゃないぞ」
 二人でどうなるんだと見あげる。アフロダイAが動き出す気配はない。
 「大丈夫そうだね、おにいちゃん」
 「コクピット内で作業するんじゃないか。何人か人がいるみたいだ」
 「じゃあ、格納庫に冷房入れるよね」
 シローが期待に声を弾ませる。もうTシャツは背中に大きく汗が染みている。しゃがんでいると半ズボンの膝の裏も汗で気持ち悪い。
 「入れないだろ。コクピットの中の仕事なら、中の冷房で足りる。それより格納庫の照明が増えるかもしれないぞ。そうしたら、おれたちは暑くなるだけだ」
 「うわ、これ以上暑くなったらたまんないよ」
 「だったら、よそ見してないでさっさと終わらせろ」
 「うん、わかった」
 シローが兄に手渡された紙やすりでせっせとチューブをこする。

(2006.07.16 本文 UP)


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