★ あらDOZI立ち上げ秘話 1 ★
永井 豪 世紀末展 いわきサイン会 1998年7月4日

1998年の春、ふとしたはずみにインターネット遊びを覚え、豪フリーク諸氏のサイトに 嵌まった私。
でも、漫画リハビリが私にとってどれほど危険なことか、本能が知っていた。だから、 リハビリしたい自分とそれを拒否する自分の葛藤に陥って、 その節は豪フリーク諸兄にご迷惑かけ放題。この辺の事情はHIRO-P氏 『俺とデビルマン』の 「とらうまっ子倶楽部」に投稿させて頂いた。 ちなみに私の「とらうまっ子倶楽部」会員番号は50番。

やがて夏。リハビリを拒否したままなのに、豪 先生のサイン会と聞いて、 何を思ったのかいわき市まで行ってしまった…。 本当に、あの時は何を考えていたのやら、自分でも分からない。

前置きはこれくらいにして、先ずは、そのサイン会直後にふりーく北波氏 『ビバ! ダイナミック』 のBBSに投稿させて頂いたレポートを御笑覧下さいませ。
豪 先生はファン一人一人のお顔を見て、描くものを決めて下さいました。
機械的に同じ絵を描き飛ばせばずっと短時間で終わるでしょうに、 「この人にふさわしいものを」と心を込めて描いてくださるのがひしひしと 伝わってきました。デビルマン、デビルマンレディー、キューティーハニーが 多かったようです。

その集中力は凄まじいまでで、文字どおり一瞬も休まずに、傍らにおいてあった アイスコーヒーに手も付けず、2時間あまり描きつづけていらっしゃいました。
整理番号60番の私は順番が回ってきたら、「氷も溶けてしまいますから、 一息いれてからに…」と申し上げようかななどとちらっと思ったのですが、いざ、 目があったらそんな余計なこと言える雰囲気じゃない。 でも、他の方たちが豪先生の前で緊張の面持ちでいる中、思わずにっこり笑顔で 「よろしくお願いします」といってる私。

数秒の沈黙後、図録に目を落とした先生が指で場所決めをしてる…あれ? 他の人の時にはこんなことなさらず、すぐにペンを走らせていらっしゃるのにと思う 間もなく、それまでにない太いタッチで描き始めて…不動 明!!
不動 明を描いて頂いたのは私一人だったかもしれないと、勝手に自己満足して います。
最後の握手一つもおざなりでない心がつたわり、またまた感激。
はなっ!を背景にした明も良いものです

まさか、永井 豪先生にお目にかかる機会があろうとはとか、2時間以上も パイプ椅子にお座りになって、豪 先生それだけでお疲れになったのでは なんて話をしながらいわき市を後にしました。

付記
7月4日のサイン会では、私が見ていた範囲ではデビルマン (正面、横顔)、デビルマンレディー(正面、横顔)、 キューティーハニー(正面)の5パターンが8〜9割くらいだった ような気がします。
強行突破してハレンチ学園のキャラをリクエストしたおっさんが 一人ありましたが、それは唯一の例外でした。 みどうさんだったと思いますが、シレーヌを描いていただいたとか。
一年以上たってしまった今となっては、これだけ臨場感のあるものは書けないので、 拙文ながら原稿を流用しました。

あの日は、午前5時に横浜の自宅を出て、途中、都内在住のHIRO-P氏をピックアップ、 地理不案内の為、5時間近くかかっていわき市立美術館に到着した。 4時間くらいの心積もりをして、開場の午前九時少し前くらいに到着する予定だったが 実際には10時近くなってしまい、人数制限に間に合わなかったかもしれないと不安が過る。

サイン会が具体的にどのように実施されるか、HIRO-P氏も私も情報を持っていなかった。 受付で整理券の配布はまだ始まっていないこと、しかし、当日、先着100名の来場者がもらえる ポスターが既に品切れになっていることを聞いて、安堵すると共に予断が許されない状況で あることを知った。サイン会は100名限定であるにも関わらず、もう、100名以上が入場しているの だから。

取り敢えずサインを頂くための“図録”を購入しようと、2階の販売所に向かう。と、その時、 整理券配布が1階で開始されるとの案内放送が流れた。とっさに、図録の購入と整理券確保の 二手に分かれる。久しぶりの休日に、夫も家事もほっぽりだし、 5時間掛かりで辿り着いたのに、並びそこなったではシャレにもならない…。

無事に整理券を確保した後、サイン会が開始されるまでの待ち時間を利用して、 びざーる渡辺氏あさみぃ氏と合流した。 あさみぃ氏とはこの時が初対面だった。
この日、あさみぃ氏がどれほど長時間の艱難辛苦を 乗り越えて、整理番号4番を取得したかは 『あさみぃわあるど』 “戦国秘帖レポート”の「永井豪世紀末展 in いわき市美術館レポート」に詳しい。
また、整理番号10番を確保したびざーる氏『Bizarre Books Overdrive !!』 “ 緊急レポート「永井豪 世紀末展」”に 、HIRO-P氏『俺デビ』の 「デビル自慢 西東」に当日の模様をレポートしている。
(どのレポートも、普通ここまでやるか?という感動を 呼び覚ます傑作です。そのころ私のハンドルネームは“horie”だったので お読みになる際には御留意下さい。)

豪 先生にサインを頂いた感激は予想以上だった。ふと気が付いたら、 図録を胸に抱きしめていた。 (これで私はサイン会が病み付きになったという噂もある)
その時、見知らぬ方に、「何を描いてもらったの?」と声をかけられた。 (多分、私の顔が原形を留めないほどに緩んでいたのだろう)
「明です」と答えたものの、それがNGFCのあのY様だった ことは、後から知った。

豪 先生が最後の一人まで描き終えた時、見守っていた人たちから拍手が起こった。 控え室にお戻りになる豪 先生をお見送りした後、合流した私達4人は喫茶ハニーに 場所を移した。座ったが最後、いつものことながら話は終わらない。
お陰で、思い出すこと、思い出すこと。 豪 先生が初めてテレビ出演した時の光景やら、豪 先生のデビュー25周年記念の エキシビジョンにもなぜか行っていたことやら…

それでも、まだ、顕在意識は漫画にも豪本にもリハビリを拒んでいた。 が、今にして思えば無意識の部分は動き出してしまった。 それは、ダイナミック・イベントの続く1998年の夏の始まりであり、 私の豪本リハビリの始まりだった。
その時には、これらのプロセスの中で“木原敏江”の名前が突如、浮上してくるとは全く予想 できなかった。しかし、この一連の流れがなければ、今日、『あらDOZI』は存在して いない。

という訳で、これって、あなたの人生変わるわよ! パートいくつになるのでしょうか?
(1999.11.2 up)

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