永井豪先生、石川賢先生をはじめダイナミックプロの作品を愛する人たちが50人以上集まった 熱いオフ会のレポートです。故石ノ森先生にも話が及びます。

電脳ダイナミック同盟総会 〜〜 附 早朝集団墓参記 〜〜


 電脳ダイナミック同盟、略してDDD、 その第一回全国大会が去る3月18日に ふりーく北波氏kikuchi宴会部長の呼びかけの下、 東京・六本木のレストラン“マキムシ”において開催され、インターネットのダイナミックサイト関係者一同、 永井豪ファンクラブ(NGFC)関係の皆様など、熱くダイナミックな愛をみなぎらせ た50名を越える参加者が全国から集結した。ちなみに“ダイナミック”とは 永井 豪先生が 率いるダイナミックプロに由来するネーミングで、このダイナミックプロには 石川 賢先生もいらっしゃる。

 17日深夜には早くもダイナミックプロ・マネージャー幸森さまご臨席のDDD前夜祭盛況の 速報がBBSをにぎわせた。おりしも3月18日は石川賢原画展 の初日、午前11時の賢展開場を待っての鑑賞オフ会を皮切りに、ロード(古本屋めぐり)、 そして、日も暮れなずむ頃を見計らっての総会開催と盛りだくさんの企画である。

 私は仕事の都合上、18日夜の総会から参加した。
 終業時間を無視して職場を早々に抜け出した私は、午後5時前に都内某所にて まさみち氏と 合流の後、総会会場に向かう。まさみち氏は長崎から賢展とDDD総会のためだけに、公私に わたり厳しいスケジュールをやり繰りし、JRを乗り継いで上京した。これをダイナミックに たぎる愛の発露と言わずしてなんと言えばよいのか。

 総会会場マキムシでは、壁に描かれたデビルマンが来場者を迎える。 これは豪先生直筆のデビルマンだ。
 まさみち氏と私が到着したのは午後6時過ぎ、充分余裕を持って到着したつもりだが、 既に桜多 吾作先生がご来場、三々五々集っている参加者の間では 熱気にあふれた語らいが始まっていた。

 やがて定刻、ささきいさおを十八番とする美声でふりーく北波氏が、開会宣言、 桜多先生の音頭で乾杯、サバト本舞台の幕が開いた。日夜、ネットで熱い思いを交歓している五十人余りが、 文字通り日本中から集まれば、言葉も物も飛び交うのは必定というもの。間接照明が心地よい空間を演出する フロアでの出来事の数々は、えみりー部長のイベントレポートや、 ワダBEN氏、またの名を ふぁんきぃBENちゃんの日記 などでも報告されているのでご参照いただきたい。

 その代わりと言ってはナンですが、私は熱いダイナミックな愛をひときわ燃え上がらせたエネルギー源、 マキムシのお料理についての少々ご報告など。
 立食パーティー用にオードブル各種からサンドウィッチ、パスタ、最後のケーキまでとりどりの大皿が 順次サーブされた。シェフの粋で細やかな心配りが行き届き、プチオニオンのリングフライや角切りの ミョウガがアクセントになったサラダのトッピング、あるいはサーモンに添えられたパールオニオンの ピクルスなど、随所にセンスが光る。
 サーブしてくださった女性に伺ったら、マキムシのシェフは和食材の使い方を工夫していらっしゃるとか。
 個人的に特に印象に残っているのは、油をきれいに落としながらジューシーに仕上げて、ほんのり 上品な甘みを引き出していた合鴨のロースト。調理方法がシンプルでごまかしが利かないものがおいしい お店って本当にうれしい。

 語らいの合間の演出も熱かった。夢のような賞品を前にじゃんけんといえど真剣勝負、(賞品を手に した皆様おめでとうございます!)、あるいは電話参加があり……、サバトの夜はふけて行く。 ―― やがて宴が終わった。

 お開き宣言から30分たってもマキムシの前には名残を惜しんで数十人が留まっていた。要は、 国道246号線沿いの歩道に、30人以上の人間がたむろしていたといういささか特異な状況だった訳だ。 しかも、その集団たるや年齢構成はまちまちだわ、なぜか大多数の人が大荷物を持っているわ、 部外者には得体の知れないものだったことは想像に難くない。例に漏れず、いつのまにか私の リュックもずっしり、ぱんぱんだった。差し上げた物より、もらった物の方が多かった証拠…。

 とにかく、この状況を解消するために、徒党を組んだハイテンションな集団は 地下鉄六本木駅方面に流れ始めた。交差点に差し掛かったところで、北波氏kikuchi氏から アマンドにてのお茶会開催が提案される。しかし、アマンド3階の大円卓を占拠してもこの人数は 入りきれないだろうとの判断から数人がここで分離した。

 ―― そう、私もここで分離した。そして、 ストロング山下氏の 引率で、ドクター陳氏たろまる氏びざーる・わたなべ氏まさみち氏ワダBEN氏あさみぃ氏hkazu氏、そして私の9人 は六本木から渋谷まで徒歩で移動を開始した。

 時に午後10時半、終電が早いhkazu氏あさみぃ氏ゆりあの3人は 「まだ、終電に間に合う。帰ろうと思えば帰れる」などと 誰一人帰宅するつもりなど毛頭ないくせに、白々しい言葉を交わす。 そりゃあ、一年半ぶりに一同と再会を果たしたまさみち氏が翌日には帰らなければならな いのに、わずか3時間のパーティーで“さようなら”はないでしょう。

 長崎からの上京とはいえ、まさみち氏は宿をとっていない。なに、今宵、泊まるあても予定もない のは他の8人も同じだ。だから、“午前零時の新宿”へ、まずは経由地の渋谷にむかっ て歩く。敢えて地下鉄を使わない理由は、午前零時に向けて“時間調整”の ためである。

 新宿はとあるカラオケ屋さんに予定通り到着。深夜12時から午前5時まで一人二千円、 飲食持ち込み自由、グラスとお絞りは貸してくれる…、そんなカラオケ屋さんだ。 しかも、そのお向かいには生鮮食品、お惣菜、アルコール、コミック、雑誌、なんでもありの お店が深夜3時まで開いている。当然、おはぎも、焼酎のボトルも、ウイスキーの ボトルも、ロックアイスも手に入らないものはなかった。 (念のため申し上げます。私は体質的にアルコールが飲めません。 そして、嗜好として甘いものはあまり好みません。)
 惜しむらくは、この時点で鉄笛仙氏の携帯に連絡を入れたが、留守電になっていたこと。
 カラオケ屋さんでは、「血管切れそう」と言いながら熱唱で一同に感動を与えつづけた方もあれば、 ゆっくりお休みになった方もありで、一同くつろいでそれぞれに楽しく、あっという間の5時間を過ごした。

 春分が近いとは言ってもまだ5時過ぎは日の出前、それでも新宿では人の群れを よけながら歩かなければならないし、ファーストフードのお店はにぎわっている。
 JR新宿駅改札前に到着して解散 、この後に待ち合わせや列車の予約時間まで間が ある方は時間待ち態勢に、それ以外は帰路にと別れた。…はずだったのだが、 「時間があるなら、石ノ森のお墓参りします?  なかなか味わいあるお墓ですよ」という、 わたなべ氏の一言で、誰もがその瞬間まで予想もしていなかった展開に突入した。 (ただし、山下氏はこの時点でご帰宅。)

 日頃は数分間隔で次々に到着するのがあたりまえと思っている山手線だが、休日の午前5時台 では運転もまばら。だから、ホームも到着した車両の中もそれなりに込み合っている。 池袋駅から歩くこと10分、昨夜から何キロくらい歩いているのだろうと誰ともなく 口にする。(ちなみに、六本木、渋谷間は約3キロだとか)
 お線香と言うより、お香のようなさわやかな甘い香りが街路までほんのり届いてきた頃、 広い境内に真新しい本堂、清楚な雰囲気のお寺に到着。 午前6時前、当然のごとく他にお参りの人影はない。
「あれ?どこだったっけ?」
本堂の裏手にある墓地もかなり広く、手入れが行き届いたお墓が並ぶ。
「この立派なお墓?」
「いや、一目でわかるんだ」
 墓地の一番奥まった一角にあった。確かに、一目でわかる。黄色いボタン?も あざやかな真っ赤な戦闘服を着た等身大の009と003が たたずんでいる。
 ベレー帽をかぶってペンをお持ちの石ノ森先生のレリーフの下で、 ちゃんと彩色された仮面ライダーはじめなつかしいキャラたちから 私が見知らぬキャラまで、勢ぞろいでお守りしている。メインの石には“萬”の 一文字。萬画を提唱していらした先生の遺志だろうか。 木肌が白いままの卒塔婆には石ノ森を院号にした戒名も読み取れる。
 お彼岸だからとはいえ、一抱えもあるような花束がいくつも供えられて、 訪(おとな)う人の慕わしい思いがしのばれる。一同、お線香を手向けそれぞれの思いを胸に 合掌。そして、記念撮影。(そのうち、この写真をもらえたら、アップしたいな〜)

 JR池袋駅に戻ったところで、わたなべ氏ワダBEN氏ゆりあが離脱。 残りの皆様がハンバーガーショップに立てこもり、更なる展開があったと風の便りに聞いている。 というわけで、以後の展開は あさみぃ氏の戦国秘帖 レポート「石川賢原画展 in JBP オーバルビルレポート」を ご参照いただきたい。

(2000.3.30 up)

追 記 1
 カラオケ屋さんでの会話。
あさみぃ氏 「今日は、なんと言って家を出てきたんですか?」
ゆりあ   「え? オフ会、たぶん徹夜って。」
あさみぃ氏 「………」
 正確には、「長崎から上京している友達を東京駅まで見送るかもしれないから、 帰りは19日の午後か夕方になるかもしれない。」と、夫には言っておいた。
 気持ちとしては、まさみち氏が新幹線に乗るまでお見送りしたかったのだが、1月以来の体調不良のため 体がついて来てくれない。やむなく午前6時でリタイアしてしまった。

 帰途、山手線の中での会話。
ゆりあ 「どうして、石ノ森のお墓をご存知だったの?」
わたなべ氏 「やっぱり、何かのオフ会で徹夜のあと時間を持て余して行ったんですよ。 今度は手塚(のお墓)をチェックしておかなくちゃ。」
 熱いオフ会を徹夜でやっているのは私たちだけではないと安心する。と、同時に、こんな体力勝負のオフ 会を、わたなべ氏は忙しい仕事の合間に、私の何倍もこなしているのかと畏怖の念を覚えてしまう。

 渋谷でわたなべ氏とも別れ、ダイナミックごみで膨れたリュックを背負って自宅にたどり着いたのは 午前8時過ぎだった。
「ただいまぁ〜〜」
一睡もしていないのに、なんとも軽やかな声が出る。楽しかったんだなぁと、自分の声の明るさに改めて 昨日を思い出す。
「おかえり〜」
のどかな声で出迎えたが布団乾燥機で私の布団を暖める。ぬくぬくと熟睡。

 「まるで、学生のような生活をしているなぁ。」
今回の顛末を聞いての感想だ。
ゆりあ 「たまに皆で集まれれば、どうしてもね。」
 行き先も決めずに一人で国外をうろついてきたかと思えば、
「ジャンボ機のコックピットに入れてもらって、操縦席に座って操縦桿を握ってきた〜〜。」
などと、予測不可能な体験談を口走る私に、夫は既にある種の 悟りの境地なのだろう。ただ、必ず舞い戻ってくる私の帰巣本能には絶大な信頼をおいているらしい。

追 記 2
 総会当日、マキムシで私はライカ氏と初めてお会いした。
 長身のご夫君豪ファン、小柄なライカ氏賢ファンで、ダイナミックへの愛ゆえに、まだ豪雪で道路状況の危うい仙台から高速バスに乗り、DDD総会に駆けつけた文字通りのダイナミックなご夫妻だ。
 「DDD総会と、その前後のこと」と題して、ライカ氏は レポートを「おもいをこめて まず告げて」に寄せて下さっている。
 石川賢原画展DDD総会の様子はライカ氏の臨場感あふれるレポを ご覧いただければと思います。



      

      

      


(2000.4.4 up / 2002.12.27 画像追加)

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