読書日記2 夢の碑 〜〜老中 水野さまって8人もいるんだぞ!〜〜
1999年5月も末の某日、小学館PFコミックス『夢の碑』20巻読了。
個々の作品についての感想はさて置いて、早速、資料として掲載する準備にかかる。 そのために読み急いだのだから。

本編20冊と番外編2冊。画像の作成だけでも手間も時間もかかる。 それでも、ここまではいつもの手順どおりの機械作業。唯一、気を付けるべきは、 作業中にいつの間にやら手にした本を読みふけってしまうことくらい。
次に、各作品の内容の紹介文。そして、ここから私は渕に落ちた。歴史の渕に。

たとえば『鵺』。
“飛ぶ鳥を落とす勢いの老中 水野出羽守”と言う台詞。ふっふ、これで 単に“幕末”ではなくて、年代が特定できますわいなと日本史辞典に手が伸びる。
「水野、水野忠邦…。え? 越前守??」
老中 水野といえば忠邦しか思い付かない歴史しろーとの私の前に、ふか〜〜く渕が 広がった瞬間。

こんな時に限って、別件でちょっと調べたいことがあって図書館から借りてきた専門書的な 日本史年表が手元にある。渕に沈む私の足にくくりつけられた重石のように。 世の中には歴代老中の一覧表なんてあるんですねぇ。
水野出羽守、幕末…。う゛、1866年に一人、1818年にも一人。どっちだ?
1866年なら間違えなく幕末だけど、わずか3ヶ月しか老中職にいなかったとなれば “飛ぶ鳥を落とす勢い”とはいわれないだろうし、大政奉還を2年後に控えたような 雰囲気のお話ではないし…。ちょっと、幕末過ぎる…。

1818年、こちらは15年の長きにわたって老中を勤めている。19世紀に入れば幕末と言えるだろう。
うん? 1817年にも老中格扱いながら、水野出羽守がいたりする。任期1年。
名前が同じだから、両者は同一人物ではないか?
けれど、代々同じ名前を継いでもおかしくない時代のことだから根拠なしには推測も出来ない。 水野家の家系図を見て、家老に土方姓があるかどうかを調べて…、なんて出来るわけない。
ええい、一言、“幕末”と書いておくしかないわ!
結局、私の資料あさりは何の役にも立たずに、なんと、不毛な…。睡眠時間が…。

たとえば『風恋記』。
“1204年”と作品中に西暦が明記されている。お、ラッキーと ばかりに紹介文に流用。と、ここで不安が過ぎる。「1204年の時点で、実朝は すでに将軍職に就いていたのだろうか?」と。
当然、年表を開いて確認する。「1203年、頼家、将軍職を実朝に譲る」と見つけて よしよしと一安心。ついでに、後鳥羽天皇が上皇(院)に退かれたのは1198年。

思わず、三浦氏の歴史についても、確認だけのつもりがつい、読み返している。
(三浦氏の通史が一番、コンパクトにわかりやすくまとまっているのは永井路子 著の 『異議あり日本史』文藝春秋社の「忘れられた主役 三浦氏四代」だと思います。 10頁くらいなので手軽に読めます)
余談に走りますと、かつて自分で調べきれなかった史実に付いて 永井 路子 先生に不躾にも、 質問のお手紙を差し上げたことがあります。
数ヶ月後に万年筆の直筆でお返事をくださいました。 素晴らしい達筆で、私の質問に 答えるためにわざわざ資料に当たり直して下さって感激いたしました。


と、このように一話づつ書いていったらきりがないくらい、ふかああい渕の中を さ迷う作業の連続で、アップした翌日は軽度燃え尽き現象を起こした。
(1999.6.18 up)

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