yo-yoさまにご投稿をいただきました。

 以前、「深き陽炎の記憶から(ゲストブック)」で話題になった『摩利と新吾』の結末について綴ってくださいました。ネタバレなので、こちらに収録します。
 ゲストブックへのご投稿に準じてコメントは控えますので、「深き陽炎の記憶から(ゲストブック)」の過去ログ20〜30かれんさまの「DOZI初め」から、30〜40にかけてのご投稿とあわせてご覧くださいませ。



 わたくしが今日お話したいのは、かの「まりしん」の結末部についてです。ハッピーエンドなのかどうか、という二分類には興味がありませんが、双方の心情につい て想像してみました。

 摩利については「思い残すことはない」の一言ではないでしょうか。死ぬのなら新吾と共にみたいなセリフはありますが、何と言っても自分の気持ちを貫き、ホンモノ になったのですから。性的欲求に基づく一体感を達成できなかった、という思いはもう昇華されていたことと思います。  

 問題は新吾さんです。彼はやはりあの時代の日本男児であり、時代・文化・社会の価値観、道徳観、人生観、想像力の限界内に「まっとうな男」として生きる以外道のなかった人なので、自分の内面を深く取り扱うことができなかったのです。「家を興し・・・云々」と。  もちろん無意識にではありますが、自分の内面を見ようとせず、外の尺度に自分を合わせて生きた悲劇は最後に鮮明になりました。
 「ここで死んでなるものか、国にはおれの妻子が・・・」と言うのはまことに一貫した彼の生き方にマッチしたセリフです。あくまで意識にのぼる責任感に基づく言葉です。しかし最後の言葉は一体何だったのでしょう。
 「摩利ー!」という叫びこそが、彼の心の奥底にあった、自分でも気づかず見ようともしなかった真実なのです。
 新吾は自分で知っているよりもはるかに深く摩利を愛していたのです。これほどの悲恋はありません。

 とにかくその後羽が生えて、またいっしょになったのだから、まあ大団円ということにしておきましょう。

(2003.01.09 up)

おもいをこめて まず告げて 目次 / HOME PAGE