ゲストルーム 目次 /ホームページ


◆◆ 木之下晃(舞台写真家)インタビュー◆◆

*** ファインダーから覗いた大野和士 ***



木之下晃さんは言うまでもなく、舞台芸術写真の第一人者。
音楽好きな人なら、木之下晃さんの撮った写真を見たことの無い人はいないはずです。
木之下さんは世界中の著名なアーティストは、全てと言っていいほど撮ってこられました。
大野和士についても、デビューの時から知っておられます。
その木之下さんに、写真ではなく言葉で、大野和士のことを語っていただきました。
(文責:堀江信夫,文中敬称略)

木之下晃さんの手
「この手が奇跡を生む」 撮影:堀江 信夫


−−アーティストの一瞬の表情を切り取るには、最適の瞬間にシャッターを切っていなければなりません。 木之下さんは、どうしてシャッターチャンスに強いのですか。−−

木之下
 中学生の頃、短距離の100m走で県内でいちばん速かった。 そのためにスタートの練習を毎日猛烈に繰り返してやっていたことが、一つの遠因になったみたい。 その結果に築かれた集中力でシャッターを押すから、タイムラグがほとんど無い。 だから見た瞬時のままの表情が撮れている。
他の写真家を見ていると、人の動きを見て同じようにシャッターを押しているのだけれど、 タイムラグによって表情が変わってしまっている。 その僅かな差が唖然とするくらい違った写真になっているのです。
今でも私は集中力と反射神経は人並みはずれて良いと思う。

その集中力がいかに大事かは、カラヤンと小澤さんを撮っていて学んだわけ。 集中力は訓練で得られるものなんです。
昔プロ野球の選手で「球が止まって見える」と言った人がいたけれど、 私も指揮している棒が止まって見える。これが集中力だと思う。
私自身、集中力の深い時と浅い時があるので、重要な撮影のある時には、1日のスケジュールを コンサートの時間に合わせて持っていくようにしている。
−−そうするとアーティストを撮っていると、その人の集中力もわかりますね。−−

木之下
例えば集中力の少ない指揮者だとオーケストラを掌握できないから、練習だってまともにできない。 従ってオーケストラとの一体感が生まれないわけ。
被写体として指揮者の集中力が強い時は、私もぐっと集中して2時間のコンサートの間じゅう、 指揮者を凝視できる。

これは音楽に限らず、どんな仕事でも集中力が必要なはず。
音楽を聴く側だって集中力が必要なんですよ。いくらでも邪念が入ってくるからね。
本当に集中して聴いている人は、アーティストがいかに集中力のある人かどうかがわかるはず。
−−指揮者を被写体として見ると−−

木之下
今の日本の若手では、上岡敏之、広上淳一、佐渡裕の3人が「映像的な指揮者」で、 それぞれに指揮する姿にもアッピール力がある。 被写体として非常に面白い。
しかし指揮というのは動き回ることがいいわけではない。静かな指揮をする人の方が撮り手の力量が 要求される。カール・ベームなどがその例で、何もしていないけれど、すごく存在感があった。 そういう場合、撮り手もかなり深く入って行かないと、巨匠の内面までは写し込めない。

大野和士はスクエアな指揮で、音楽に知性を感じさせる。そして非常に構築力が良い。 音楽がぴしっとしていて破綻が無い。 もう少しハラハラさせてくれても良いと思うこともあるけれど。
先日、何か月かぶりにアルプス交響曲を聴いたが、すごく良かった。
シュトラウスというのは、ナチとの関係は別としてドイツ文化、芸術が輝いていた頃の 音楽を体現しているが、そういったことを感じさせる音楽だった。
私は大野君をデビューの時から知っているが、ほんとうにどっしりとしてきた。 指揮台の上でも堂々としていて「重み」を感じる。ドイツでやってきている ことが何らかの形で彼に染み込んで良い結果を生んでいると思う。
−−大野の今後に期待することは−−

木之下
ままずドイツ語とイタリア語を完璧にできることだと思う。あとフランス語も。
−−えっ言葉ですか?−−

木之下
指揮者というのは言葉で仕事をするものだ。マゼールはイタリア、ドイツ、フランスにそれぞれ 10年ずつ住んで各国語をマスターすることに努力をしたと言っていた。
メジャーなオーケストラは英語が通じるからといって、例えばベルリン・フィルとベートーヴェンの 練習を英語でやっていては、本当には相手にされない。
良い歌手と一緒に仕事をすれば、言葉の持つイントネーションを学ぶこともできる。
そういった意味で、生活の本拠をドイツにしているのは非常に良いことだ。

残念ながら私はカールスルーエで大野君のオペラ公演を見ていないけれど、上岡敏之、北原幸男君などと現地で接していると、 ドイツの劇場で叩き上げてきたことがよくわかる。そこで言葉の問題をクリアしてきたと思う。
小澤さんも佐渡君に「ドイツ語は絶対にマスターしろ」と言っていた。
五嶋みどりは高校生の時1か月でフランス語をマスターしたほどの驚異的な集中力を持っている。

それと大事なことは、知性で行政と渡り合えるだけの政治性も持ってほしい。 今は音楽だけでは生きていけない時代になっている。
日本でもそうだけれど、行政とたたかって予算を獲得できるかどうかが、GMD(音楽総監督)の 業績を左右する。相手を論破する言葉の説得力が必要なわけ。
ドイツでGMDともなると、諸々の日常の雑事に加え、監督官庁との駆け引きができるか どうかといった政治的な能力も求められる。
その街や州の音楽部門の責任者となって、劇場、音楽学校、合唱団などの 全責任を負わされたりするわけだから、音楽だけやっていれば良いというわけにはいかない。
クライバーやジュリーニのように超然としていられるのは、ごくごく例外にすぎない。

大野君に望むことは、「日本の大野」になるな、ということ。
日本にいれば彼くらいの音楽家になると悠々自適に生活ができる。 人間誰しも楽をしたがるわけで、しかしそれではダメになってしまう。
日本でポストを持っていることがネックにならないように自分の道を切り拓くことが大事。

音楽というのは楽譜だけではないわけで、指揮者というのは、オーケストラや歌手をその気にさせて 「お仕事」ではない、もっと何かをさせてしまうだけの、カリスマ性が求められる。
特にオペラはいろんな理解力が求められるから,その存在を自分で作り上げていかなければならない。 そのためには演技も必要かもしれない。その演技を裏付けるだけの勉強もしなければならない。

カラヤンの凄かったところは、妥協をしないことだった。
オペラ上演の前にまずレコード録音をして音楽面を完璧にしておいて、 歌手を演技に集中させるようにしていた。舞台稽古でレコードをカラオケのように活用していた。 それだからこそレヴェルの高い仕事ができたわけ。
カラヤンだからこそできた、と言うのなら、そういった環境は自分で作りだしていくものだと思う。

大野君だって、東京フィルでオペラ・コンチェルタンテをやり、カールスルーエのGMDとなって、 自分のやりたいことをするための環境を着々と積み上げてきていると思うので、次への高さを求めて、 日本にいるよりドイツで仕事をしていた方が、 これから先、ずっと大きなものになっていくだろうと思う。その期待値は高い。
わたしもいちどはカールスルーエに行かなくては。
インタビュー:1999年1月31日 木之下氏の自宅にて

木之下 晃(きのした・あきら)
長野県生まれ。フリーランスカメラマン。日本写真家協会会員。
1971年「音楽家−音と人との対話」で日本写真協会新人賞。
1986年「世界の音楽家」全3巻で芸術選奨文部大臣賞受賞。
● 写真集 ●
「対談と写真−小澤征爾」(ぎょうせい、新潮文庫)
「巨匠カラヤン」(朝日新聞社)
「ワーグナーへの旅」「モーツァルトへの旅」(新潮社)
「これだけは見ておきたいオペラ」(新潮社) 他多数
(1999.2.18 up)

PAGE TOP

ゲストルーム 目次 / ホームページ