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◆◆ モネ劇場の歴史 ◆◆


ベルギーを誕生させた「モネ劇場」300年の歴史

 モネ劇場とベルギーの歴史をひもとくと、ヨーロッパの歴史そのものが見えてきます。

 15世紀のブルグンド王国の首都として、ブリューゲル、ロジェ・ファン・デア・ヴァイデンなど、イタリアと双璧をなす「北方のルネサンス」と呼ばれる、豊かなフランドル文化が花開いたのが、モネ劇場のある街、ブリュッセルでした。
 その後、カール5世に始まったハプスブルク家の支配、ナポレオンの支配、ウィ―ン会議後のオランダ支配といったように、ブリュッセルはいろいろな国に支配されますが、これがかえって、ベルギーという1830年に誕生した国の文化にとっては、他のヨーロッパ諸国に見られない、ヨーロッパ文化のクロスロードとしての豊穣な実を結ぶための土壌となったのです。
 ブリュッセルがEU(欧州連合)の首都に選ばれたのも、この街のそうしたマルチカルチャー性が、まさに統合するヨーロッパの象徴にふさわしい、と評価されたからにほかなりません。

劇場内の様子
劇場内の様子を描いた絵画
 
 このベルギーという国が産声を上げたのが、「モネ劇場」の中でした。
 後述のように、モネ劇場で1830年に上演されたオペラの内容に魂を揺さぶられた観客たちが、愛国心に燃えて革命を起こし、ベルギーの独立を勝ち取ったという史実があります。
 オペラが国の建国のきっかけを作ったという、世界でも唯一といえる珍しいエピソードを持つのが、このモネ劇場なのです。
 ベルギーという国にとって、この劇場は、まさにゆりかごであったと言えます。

 16世紀にイタリアで誕生してまもなく頃から、オペラはブリュッセルにしっかりと根を下ろしました。
 1700年10月には、正式に今日のモネ劇場の祖となるオペラハウスが竣工し、リュリーのオペラで柿落としを行っています。
 これが貨幣造幣所の跡地だったことから、今日に至るまで、ベルギー王立劇場は、お金を意味する"La Monnaire"という愛称で、ヨーロッパ中に親しまれています。

ブリュッセルの街並み
ブリュッセルの街並み
モネ劇場
モネ劇場

 1810年に、当時自分の支配下にあったブリュッセルを訪れたナポレオンは、この街に大劇場を建設することを強く勧めました。
 ナポレオンによるブリュッセル併合自体は長く続きませんでしたが、彼の勧めによって建てられた劇場は1819年に日の目を見ました。

 現在のベルギー王国は、1830年にオランダから独立を果たしますが、その独立革命のきっかけとなったのが、前述のように、「モネ劇場」で行われたオペラ公演でした。
 フランスの作曲家オーベールの「ポルティチの聾唖の娘」という、スペインの支配に対するナポリの漁村の反乱をテーマにしたオペラが、1830年8月25日、モネ劇場の舞台にかけられました。
 フランス革命思想を強く反映したこのオペラは、のんびりとした長調で始まりましたが、「外国からの独立」を歌った第4幕の途中で、観客たちは愛国心に燃え、5幕まであったオペラが終わるまで待ちきれずに外に繰り出し、オランダ兵に対して独立戦争をはじめたのです。
 ほぼ1か月後に「ベルギー王国」が、この世に産声を上げることになりました。

入口の天井の絵
劇場入口の天井に描かれた絵画
 
 1855年の火災後、オペラハウスはベルギーの建築家ジョセフ・ポエレェールによって再建され、現在、ヨーロッパで最も美しい劇場として知られています。
 天井画「文化の保護者ベルギー」は、フランスの画家ルベとシャペロンの手によって描かれ、階段の壁画はベルギー象徴派のエミール・ファブリによって描かれています。
 また、前支配人で、斬新な企画によって1980年代にこの劇場の名声を世界中にとどろかせた、ジェラール・モルティエのアイデアで、劇場には、ソル・ルウイットやサム・フランシスなど現代美術の巨匠たちの内装が付け加えられたことでも、話題を呼びました。
 1150席の客席には、常にヨーロッパ中からのオペラファン、各国の大使、各国のEU大使、大使館関係者であふれ、毎回の公演が評判になり、「世界でもっとも集客力のある劇場」とも言われています。

モネ劇場シャンデリア
「この劇場よりも美しい音を出すことは難しい」 ?
 
(2004 09 08 up)



(3) モネ劇場の自由な気風と斬新なプログラム

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