公演レビュー 目次 / ホームページ
◆◆ コンサートレビュー 9 ◆◆


ベルギー王立モネ劇場管弦楽団コンサート (2001年9月30日)
ル・ソワール紙 及び ラ・リーブル・ベルジック紙に掲載された公演批評(和訳)



「大野和士の勝利」 コンサート モネー劇場、素晴らしい新シーズン

 《ル・ソワール紙》 2001年10月3日付け ミッシェル・デブロック
ブリュッセル パレ・デ・ボザール 2001年9月30日
武満徹 : ヴィオラ協奏曲
マーラー : 交響曲第7番

イヴ・コルトヴラン(ヴィオラ)
モネ劇場管弦楽団
大野和士(指揮)

想像を絶する名演!
 こんな言葉を使えば表現の濫用と思われる向きもあるかも知れない。だが、仕方がないと言うほかはない。
 なぜなら、この言葉こそ、日曜の晩パレ・デ・ボザールで行われた今シーズン最初のコンサートで、モネー劇場管弦楽団を指揮した大野和士が残した印象を最もよく表現するものであるからだ。

 この日本人指揮者は、ご存じのように、モネー劇場の次期音楽監督である。
 当然ながらわれわれはパッパーノのようなタイプの音楽家が去っていくのをみて、危惧の念を抱いていた。 それだけに、彼の後任に、大野和士のような輝かしい才能の指揮者を迎えられたことはこの上ない喜びといえるだろう。
 彼はすでに、昨シーズン、サルバトーレ・シャリーノの『私を裏切った光』の上演で―素晴らしい―指揮ぶりを見せてくれた。
 今回のコンサートは、音響的に前回とは比較にならない規模の作品で、大野がオーケストラをどうコントロールするかをわれわれが知るはじめての機会を与えてくれた。
 彼はそこで帝王のような威風を見せ、彼の音楽性の輝きによって、演奏者も聴衆もふくめ、居合わせたすべての人間を征服したのだ。

 この晩の第一部はまたオケのメンバーの一人、ヴィオラ・パートのトップ奏者、イヴ・コルトヴランがソリストとして脚光を浴びた。
 武満徹によって1989年に作曲されたヴィオラ協奏曲『ア・ストリング・アラウンド・オータム』は、魅力ある夢幻的な風景のなか、ヴィオラ・ソロが曲がりくねった道をとおりぬけていくような印象を与える。
 イヴ・コルトヴランはヴィオラの奏でるあらゆる詩情を洗練された音色で立ち上らせる。演奏は動きがあり、しなやかで、繊細だ。
 大野和士は、それに応えて、きらめくような音色をしたたらせ、オーケストラのあらゆるパートに輝かしい彩りを与える。 叙情の大いなる息吹が静かに部屋のすみずみまでを満たしていき、聴衆は、しばしみじろぎもせず音に耳をひそめた。

 第二部では、グスタフ・マーラーがこの日本人指揮者に、それとは全く異なる種類の叙情を表現する機会を与えた。
 まず、大野がこの巨大な作品を暗譜で振ったことにふれておこう。
 大野がこの大河的な作品演奏のあらゆる場面でみせた、信じられない自在さを証言しないならば、そんなことは、おそらく挿話的な指摘に過ぎないということになってしまうだろう。
 彼は、そこで、あらゆる細部の分節をも素晴らしく正確に指示する、まことに人を唖然とさせるような指揮のテクニックを示したのだ。 戦いの騒擾から、優美さ、諧謔、あるいは神秘、さらには最もウィーン的な官能の響きに至るまで、さまざまな対比を明確に描きわけ、強い印象を与えた。

 オーケストラの奏者達も、指揮に魅了され心ゆくまで楽しんでいるのがはっきりと見て取れた。 彼らはあらゆるリスクをものともせず、難しいソロ・パートにも勇躍として立ち向かった。
 すべてのパートに言及しなければならないところだが、木管楽器と金管楽器のまばゆいばかりの働き(とりわけ、ホルンのソロには震えを覚えるほどだった)を特筆することをお許しいただきたい。
 第4楽章で、巧みなクレッシェンドを聞かせたギターとマンドリンも忘れがたい。

 細部の音のモザイクを際だたせる場合にも、巨大な音響全体の均衡をとる場合にも、大野はオーケストラを「鳴らす」最高度の才能を有している。
 彼の棒の下では、曲想は互いに緊密に結び合わされている。  明らかなのは、何ものも自然な音の流れを妨げることがないということだ。
 あらゆる対比は大野がそれを中心に音楽を構築する、全体に統一を与える巨大なラインのなかにはめ込まれている。

 聴衆は大野の勝利に大喝采を送った。おそらくは、次ぎも、その次ぎも、輝かしい勝利の続くことを期待して。





「大野和士、大胆な挑戦」

  《ラ・リーブル・ベルジック紙》 2001年10月3日付け
ブリュッセル パレ・デ・ボザール 2001年9月30日
武満徹 : ヴィオラ協奏曲
マーラー : 交響曲第7番

イヴ・コルトヴラン(ヴィオラ)
モネ劇場管弦楽団
大野和士(指揮)

 モネー劇場の新しい音楽監督として、始めての公開コンサートにマーラーの7番を取り上げるとは、若い日本人指揮者大野和士は大胆な男だ。
 日曜日、バレ・デ・ボザールのホールは満席で、(本拠地以外での公演で、しかも交響楽のレパートリーではあるが)、わが国文化をになう新しい立て役者として注目を集めている人物を一目みたいという熱気に沸き立っていた。

 プログラムは2曲。 1曲目、20世紀の最も個性的な作曲家の一人である日本人作曲家武満徹(1930−1996)の手になる『ア・ストリング・アラウンド・オータム』(1989年)は、オーケストラとヴィオラ・ソロのために書かれた作品で、今夜のソロはベルギー人のイヴ・コルトヴランが担当した。
 委嘱作品として書かれたこの曲は、かなりアカデミックな作風で、この作家の独自な個性を聞き取るにはあまりにドビュッシーの影響が顕著であるように感じられた。
 ただ、われわれはこの曲のおかげでソリストのすぐれた才能を発見し、また大野の正確で洗練された指揮ぶりを堪能することができた。 大野はこの曲では作品の神秘的側面を強調するよりも、構造をはっきりと読みとらせることに意を用いていた。

 マーラーの7番において、−彼はこの曲を暗譜で指揮した!−大野和士は真の初陣を飾った。
 この曲は、二つの世界に引き裂かれている。
 複雑で、矛盾に満ち、巨大で、エネルギーを炸裂させ、またそのエネルギーによって炸裂させられたこの交響曲は、ふつう、狂熱的な冒険と、退屈で耐えがたい役務との間を行きつ戻りつする感を与えるものだ。
 しかし日曜の晩の演奏は、そのどちらでもなかった。
 この日示された解釈を最もよく描写できるのは、ヴィジュアルな言語であろう。 一瞬も止まることのない、むしろ静謐な運動によって、細密に描き込まれた巨大なフレスコの画面に、時折、耳をつんざくような轟音がとどろきわたる。
 いかにマーラーの楽曲が錯綜しているとはいえ、大野の仕事ぶりは透明感にあふれていた。
 指揮のあらゆる身振りは明晰であり、かれの指揮を見ていると、音がどのように組織されていくかが手に取るように伝わってくる。
生気と輝きにあふれた動作で表現される彼の分析が、たちどころにオーケストラに伝わり、奇跡のように響きのなかに反映される。

 一場の陶酔からさめやらぬ聴衆は熱烈な喝采で、演奏をたたえた。(MDM)


翻訳 : 大野英士
1956年東京生まれ
湘南高校を経て、東京大学卒、早稲田大学大学院満期退学、パリ第7大学大学院修了。
文学博士(ドクトール・エス・レトル)。専攻はフランス文学。
フランス19世紀末のデカダンス作家ユイスマンスの日本では数少ない専門家として知られる。
現在早稲田大学非常勤講師。
また、翻訳家・ライターとして、文学だけに限らず多方面で翻訳・執筆活動を展開。

指揮者大野和士の実兄。(メールはこちらへ)
(2001.10.21 up)



公演レビュー 目次 / ホームページ