2, 梅雨のない6月


 ベルリンから帰った翌朝、思音が5日ぶりに執務室に入ると机上の書類が2箱ふえていた。 秘書が最終期限ごとに分けたものを、相手先を確認しながら目を通すだけで2時間かかった。
 一段落して葉巻に火をつけると、見計らったようにボーフォール公が現われた。
「よくまあこれだけ書類が増えるものですな」
「いや、伯林のほうへ緊急の電話が入らなかったのだから、御の字です。 メーリンク一族に連絡がついたというだけで、こちらの都合は全くおかまいなしの急な日程でしたからね」
「帰りはアグネスと一緒だったそうですね。 彼女も昨年の夏以来の里帰りだと言っていましたよ」
「さすがは公、耳が早い」
「ふっふ、彼女の婚家(いえ)一族とボーフォール家はかれこれ200年以上にわたる親戚づきあいで、あのパリの館もアグネスが来る前は、我が家が管理を頼まれていたくらいですからね」
 公はアンニェスとフランス風にしないでドイツ風にアグネスと発音する。聞くところによると、それは彼女への敬意の表明なのだそうだ。

 ウルリーケの6歳違いの姉・アグネスは3年前にフランスのS男爵家のひとり息子に嫁いだ。 結婚後、爵位を継いだ夫はフランス中西部ポワティエ郊外で家業のワイナリーを営んでいる。
 かたやアグネスはもっぱらパリの屋敷に暮らし、そのサロンは音楽愛好家でにぎわっている。 メーリンク子爵夫妻やウルリーケもパリに来た時にはアグネスの館に滞在する。
 ボーフォール公もアグネスのサロンの常連で、今年2月にメーリンク子爵夫妻がパリに滞在していることを思音に伝えたのも、公だった。 公の取り持ちで、「孫である摩利がひとりで来るのならば、会ってもよい」と、一度はオペラ座の夜会での待ち合わせを承諾したメーリンク子爵だったが、結局、摩利は待ちぼうけをくわされた。
 その時、夫をはばかりながらも、どうしても愛娘マレーネの忘れ形見に会いと切望する祖母のために、祖父に気づかれないように馬車を用意して送り出したのがアグネスだった。

 「アグネスも摩利を気に入ってくれたようで、ヴァイオリンのレッスンを見てもらうことになりましたよ」
「ほう、それは素晴らしい。彼女の澄んだ音色はカール・フレッシュ譲りですよ。 ベルリンにいた頃から教わっていたそうですが、今でも機会があるごとにフレッシュにみてもらっている」
「フレッシュというと、一昨年(おととし)ベルリンでヴァイオリン音楽史のための連続演奏会を成功させた…?  確かあの時は60人以上の作曲家の曲を取り上げると、たいそうな話題になりましたな」
「そう。しかも、彼は演奏のすばらしさもさることながら、教育者としても有能ですからね。
 もとはといえば、メーリンク家がデビュー前の彼を支援したのがきっかけだったらしいが、彼女に才能がなければあれだけ熱心には教えてくれないでしょう。 ここ数年、アムステルダム音楽院で教鞭をとるようになっても、パリに立ち寄る時には必ず今でもアグネスのサロンに顔を出している」
 合点が行ったように、思音は葉巻を吸い込んだ。
「どうりで…。 メーリンク邸に滞在中も、連日2時間は弾きこんでいたし、単なるお嬢さん芸とは思えない音でした」
 だが、どれほど才能があろうと、どれほどヴァイオリンが好きだろうと、アグネスは職業演奏家になれなかった。 メーリンクの祖父母が、人前で楽器を演奏して金を取るような“見世物の真似”を孫に許すはずがないからだ。 祖父母の許しがなければ両養子の両親には何も望めないことを、アグネスはほんの子供の頃から知っていた。

 手にした葉巻が尽きたところで、ふたりは本題である仕事の話に移った。 目下の最大の関心事は、英国での事業展開の算段だ。
 伝統的に反目しがちな英仏両国だが、1903年のエドワード7世のパリ訪問、フランス大統領ルーベのロンドン答訪以来、親善の気運が盛り上がって1904年には英仏協商が成立した。
「米国、ドイツの急速な進出により、英国が世界の商工業の中心であった時代は終りましたね。 ――19世紀、昔日の栄光になってしまったようだ。  とはいえ、1905年からの英国の海外投資の伸びは著しい」
思音が英国から届いた報告書をボーフォール公に手渡す。
「20世紀に入ってからの英国の金融再編成も注目に値しますな。 …われわれにとっては好機でしょう」
温厚な紳士ではあるが、利益への嗅覚が本能的に発達している二人の会話は極めて怜悧だった。



 摩利を乗せた馬車が、とりどりの花が絨毯のように広がる公園の横を通ってアグネスの館に向かう。 空はどこまでも青い。 モンマルトルの丘の上にはサクレクール寺院が丸い屋根を見せ、鳩の群れが風を切って旋回する。 長い冬の重苦しさはどこに行ったのかと思う光景だ。
 天空に白く光っている太陽を眺めると、なつかしい笑顔が浮かぶ。 摩利は「うっとうしい雨が続く日本の6月とは別世界のさわやかさです」と、新吾に手紙を書こうかと考える。 が、すぐにやめた方が良さそうだと思い返す。 きっと新吾のことだ、「梅雨があるから日本に帰りたくないなんて言うなよ」と、言葉は乱暴だが心配の気持ちがあふれる返事をよこすだろう。

 つい昨日も、新吾から国際小包受け取ったばかりだった。
 子供が両手で持てる大きさの割にはずっしりと重みのある小荷物に、怪訝な思いで荷解きをすると、あろうことか摩利が進級していれば手にしていたはずの中学校の教科書一式が詰め込まれていた。 ついでに数馬伯父に仕込まれて近頃凝っていると手紙をそえて、将棋の小箱も入っていた。
 半年もフランス語に囲まれて生活している摩利は、学齢期の子供のこと、最近は無意識のうちにもフランス語で物を考えている。 確かに、フランス語での会話はパリの、いや欧州の社交界で生活するための最低条件だと、一生懸命、努力をしてきた成果でもある。
「だからといって新吾と話ができなくなるなんて、冗談じゃないからな」
ひとりごちながら眉を上げ勝気な眼差しで、届いたばかりの真新しい国語の教科書をひらく。 そんな摩利を思音が楽しそうに眺めていた。

 川向こうの木立の間に、こじんまりした ― と言っても、あくまでメーリンク邸やボーフォール公邸にくらべればの話だが ― アグネスの館の尖塔が見えてきた。
 ヴァイオリンのケースを抱えてここへ通うようになって、そろそろ一ヶ月になる。 その間に、摩利は確実に腕を上げている。 自分でも「弾けるようになった」と手ごたえがあるから自宅での練習も熱がこもる。 その成果を見てもらえるから、レッスンがますます楽しい。
 さらには、意識と無意識の半々のところで、声が亡母に似ているといわれるアグネスに会うのことへの喜びもあった。
 そして、とりわけ今日のレッスン日は待ち遠しかった。 この前、別れ際に、「この次に摩利がうちに来る時には、とても素敵なプレゼントがあるわよ」と、彼女が楽しげに、しかも、意味ありげに言っていたからだ。 それも、とびきりの微笑(ほほえみ)とともに。

(2001.3.1 up)



1、つむじ風 / 3、ペルチャッハ

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