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「摩利と新吾ネタバレ掲示板」へのDOZIさまのお返事(2)
お返事がない書き込みも、木原先生は全部ご覧下さいました。


(52)先生が!
名前:ゆみ    日付: 5月25日(日)18時28分16秒

直接お返事を下さるということですか♪
それなら質問その1。
まず、なぜ篝くんはあんなに病弱で細いのに髪のつやが大変よいのか!(笑)

 栄養が全部髪にいっちゃったのね。多分…(笑)


それから、これ↓はご存知の方がいらしたら教えてください。
1.額田様の下の名前はなんなのでしょうか?
やっぱりOKIMIだし…、公子かなあ。当時はまるで考えてませんでした。すみません。


2.5巻でしのさんが燃やしてしまった「貴女をお慕ひ」云々の手紙はひさこさんが扇と一緒に落としていったものですよね??  あたりまえじゃん!とおっしゃるかもしれませんが内容が内容なのでどうなのかなぁ、と。
紫乃さんがひさ子さんに出したラブレター(?)ね。書道の練習しとけばよかった!!と、文字を書いたアシさんがため息をついていました。だって、頼んだ私はもっとヘタじゃ〜〜〜(汗)


3.第一桜豪寮歌以外のちゃんとした楽譜がある寮歌は存在しないのですか?

ずらずら書いてしまってすみません。(^^;)


(54)まりしんの舞台はどこだ!
名前:てまり    日付: 5月27日(火)00時30分36秒

ドジさまのお目に触れられるという光栄と多少の邪心を以って、かねがね考察しておりました項目をしたためたく。

摩利の家は南麻布でした。そこから徒歩圏に新吾の家はありました。どこでしょう?
ゆりあ様のホロスコープ作成時のご考察でも徒歩圏の山の手とあります。ふと、白金あたりでどうだろうと今日、仕事中にいきなりひらめいたのですが....。
摩利の回想で、子供時代新吾のおばさんから「外人の子は臭い」といわれた時、「ぼくは帰るから」と、一人で帰る意志を示しています。子供の足で行き来することを考えると、白金まで行ってしまうと(いや、白金って、私のいきなりの思いつきに過ぎないんですが)当時かなり自然があった南麻布界隈で、子供の行き来はむずかしかったんじゃないだろうか。
今は名のみそれをとどめる麻布大学の獣医学部は、明治23年の創立時から太平洋戦争直後まで、本当に南麻布にその敷地を持ち、牛馬をしこたま飼っていられる環境だったはずなのです。それにわりと山坂だったんじゃないか。
むしろ、きっちゃんと迷子になったというエピソードを踏まえると、新吾の家も、麻布という地名の範疇のところにあったと考えていいのではないでしょうか。

関東大震災で壊滅的打撃をうけなかった地域……、じゃあ、山の手周辺ならどこでもいいや…程度の考えしかなかった作者は、てまりさんの考察に感動しております。おっしゃるとおりだったのかもしれない!


そして、われらが持堂院。
同じく戦後の学制改革をくらった、当時は武蔵野と言われた、今でも東京の「はずれ」に位置する土地の成城、成蹊があったあたりをドジ様は想定しておられるのでは?
設立時期はずれますし、持堂院のモデルだったとまでは限定して考えませんが、これらの一方が私立旧制高校だった時代に学ばれた方を数名存じ上げておりますが、帝大に進まれたり、お医者様になられたりと、優秀な人材が多く排出されていました。
うかがうに、昔のそれらの学校の敷地は(今も広大ですが)大変広く、敷地内に林なんかあって当たり前でたぬきくらい勿論いたそうです。成城や成蹊のある吉祥寺あたりだと、新吾の両親が温泉へ行くときに、新吾の顔を見に寮に寄って行ったというコースもうなづけるものがあります。

はい、こちらは、ご考察どおりです。


(60)やっぱり長過ぎました
名前:水玉みかん    日付: 6月 9日(月)12時34分27秒

(恐れ入ります。(59)の書き込みから続けてお読みください)

そこで、摩利があえて日独ハーフと設定された理由ですが、『わっしょい』までに限定して考えると、森鴎外の『舞姫』を彷彿とさせる思音氏若かりし日の恋物語を描くというのが、唯一の目的であったように感じられると言ったら、乱暴すぎるでしょうか?

本編全体を通して見ると、摩利がハーフだという設定は大きな意味をもっています。
日本での差別は、そのまま裏返しになって、新吾が欧州でうける有色人種差別としてえがかれ、さらに屈辱の舞踏会での名場面につながっていきます。
他にもメーリンク家をめぐる人間模様などを考えると、最初から周到に考え抜かれた設定に思われる摩利の出自ですが、本当にそこまで考えられていたのでしょうか。

実は、雑誌掲載時から、すでに私はちょっとひっかかっていました。と、いうのは、篝が“アキレスのかかと”として気づくまで、摩利が一見すると外人に見えて、ひどい差別をうけていたことを示す場面が全然ないことです。
物語が完結した今、文庫本で8冊とはいえ、まとめて読めばその部分までほんの数時間ですから、それほど不自然ではないのかもしれませんが、リアルタイムで雑誌掲載を追いかけて読んでいた時ですと、掲載開始からここまで来るまでに、年単位の時間が過ぎています。
その間、混血で、ドイツ人の母にそっくりで、フラウ・アップフェルの扮装をしたら外人の女性に見える摩利のことを、明治時代なのに、みんな外国人に対する偏見がなくて、すごく自然に受け入れているんだな、不思議だなと思っていました。
この作品はそういう世界なんだと思って読んでいたら、篝のところへ来ていきなり、摩利の“外人風の個性”がクローズアップされ、それ以後は繰り返し摩利に対する世間の風当たりみたいなものが折りに触れて描かれます。
もちろん、それはそれまでは作中で描かれなかったというだけで、差別自体は摩利の幼少時からずっと存在したことにはなっています。
でも、篝の指摘以降に比べると、それ以前は周りの偏見を示す場面があまりにも無さ過ぎるような気がします。
★(2)

当時としては進歩的なはずの帝大生でさえ、初めて見たら目引き袖引きするほど目立つというのに、あきらかに持堂院の生徒ほどおおらかではなさそうに思われる修学院の女学生たちがこの点に関して何も言わなかったのでしょうか。 (美しさ故に全てを許したのかもしれませんが)

違っていたら大変失礼な想像ですが、もしかしたら、作者自身、篝が気づく場面まで、そういう事をあまり意識していらっしゃらなかったのではないでしょうか。
この想像があたっていたとして、ここでそれを指摘するのは、決して揚げ足とりのつもりではありません。
むしろ、明確な意図のないままになかば無意識のひらめきで摩利がハーフという設定がなされたとしたら、DOZIさまの創作者としての優れたインスピレーションに、今更ながら驚かずにはいられません。
それは結果的に作品世界において欠かす事のできない重要かつ印象的なモチーフとなったわけですから。

一方、私の想像が的はずれで、DOZIさまが当初から今ある形を念頭において全ての設定を伏線として織り込まれていらっしゃったとしたら(それも又十分にありそうなことです)、なおさらにその卓越した物語作りの才能に尊敬の念を抱くものであります。

くだくだと書きましたけど、要は「DOZIさまは、摩利をハーフに設定した時、どこまで考えてそうなさったのかしら?」というのが、今回の私の疑問です。
★(1)

(1)ハーフ設定にしておけば、話がヨーロッパにとんでも大丈夫……程度の考えだったんじゃないかなあ…。深いタクラミはなかったと思います。
私、ラストだけはお話はじめる前に決めますが、その過程ははなはだアバウトで、ほとんどカンと本能でお話をつないでゆく場合が多いです。もちろん、その際、伏線をしっかりはることは忘れませんが、それがどのような結果や効果を及ぼすか、及ぼさないかは、その時点までわかりません。

(2)商業誌では、はじめから大長編を…といって依頼されるわけではありません。
人気、アンケートの結果、これは大河にしても許されるなと作者が自覚した段階で、偏見関係はまとめて描けばいいやと思っていたので、前半はあまり出しませんでした。その前に描きたいものがたくさんあったし。


(61)(無題)
名前:まりりん    日付: 6月18日(水)14時02分22秒

DOZIさま、こんにちは。早速質問させていただきます。初めての舞踏会で新吾が「せっかくのワルツですから一曲」といって、摩利と踊るシーンがありますよね。新吾の帰国後、欧州に一人残った摩利が、東洋人蔑視のパーティで摩利と踊ったタンゴだと回想するシーンがありますが、摩利と新吾が二人で踊ったのは、ワルツでしょうか?タンゴでしょうか?教えてください。  また、私は、数々の名場面の中でも、ドリナを追いかけていく新吾の背中に摩利が「行くなと女みたいに泣いてすがって言える性格なら、もうばかばかしくて、とっくに鷹塔摩利なんてやってないよなあ」という台詞が好きなのですが、DOZIさまの好きな台詞、お気に入りの場面があったら教えてください。
あれはね、誤植(編集部がセリフの文字を印刷するときにまちがえること)なのです!!  私、原稿を渡すのが遅くて、訂正が間に合わなかったのかも。
「ワルツ」が正解。でも、ポーズはたしかにタンゴだわね…(汗)。
きっとどっちも踊ったのよ。(私、タンゴ大好きだし)


(63)素朴な質問ですが・・・
名前:なおえ    日付: 6月18日(水)22時22分30秒

摩利と新吾の子供の名前は何と言うのでしょうか?
ドリナの子供は、新吾との子供でしょうか?
(2)のヒロヒコさんの項を見てね。


(65)次なる疑問(『題知らず』に関するあれこれ)
名前:水玉みかん    日付: 6月25日(水)12時04分43秒

長編『摩利と新吾』第4話『題知らず』は、若き日の鷹塔思音氏のお姿が見られるなかなか美味しい一篇です。
最初に読んだ20数年前、回想場面の「伯林1888年」という一節にきっとこれは、海渡英祐の乱歩賞受賞作品『伯林―一八八八年』というタイトルからの流用だ、と思ってニヤリとしました。 それ以来、ずーっとそう思い込んでいたのですが、それは正解でしょうか、というのが、今回の疑問です。

大当たり。伯林1888年て、いいタイトルでしたしね。


もちろん、思音氏とエリザベート・ナハチガルとのエピソードは森鴎外の『舞姫』をベースにしていることは明らかですし、海渡氏の『伯林―一八八八年』も伯林留学中の鴎外が事件にまきこまれてといった趣の『舞姫』裏話の形をとっています。 そして、鴎外がドイツ留学を終えて帰国したのは、明治21年(1888年)で、『舞姫』の時間設定もほぼ同じ頃になっています。 だから、海渡氏の作品を経由しなくても、『舞姫』から直接「伯林1888年」というフレーズが導き出されたということも十分に考えられます。 ただ、『舞姫』の作中では年を表わすのに西暦ではなく元号が使われていますので、「伯林1888年」という表記そのものはありません。

あとね「舞姫」はなぜか頭になかったなあ…。無意識にあったのかなあ…。でも、あんまり好きな話じゃないしなあ…。
オスカー・ワイルドの「夜鶯(ナハチガル)」のイメージのような気もする。でも覚えていないなあ…。すみません。


結衣ちゃんのシリーズなど、ミステリーまんがもお描きになるDOZIさまですから、『伯林―一八八八年』が出典ならいいな、というのは、私の願望です。

さて、話は横にそれます。
『舞姫』で、西暦が使われていないということを確かめる為に今回、読み返してみましたら、新たな発見がありました。
『舞姫』では、作者鴎外の分身である豊太郎の恋人は、エリスという踊り子ですが、『題知らず』では、もちろん豊太郎が思音、エリスがエリザベートにあたるんだろうと長年思い込んでいました。 舞姫→歌姫、という連想も自然ですし。
ところが、『舞姫』では、豊太郎が最初にエリスに出会うのは、夕暮れ時にウンターデンリンデンを通りすぎて、しばらく歩いた街角の寺院の前なのですね。 思音がマレーネに出会った月明かりのウンターデンリンデンの石畳とは、少し違いますが、状況は似ているような気がします。

そして、エリスは金髪碧眼の乙女ということで、ルックスからいうと黒髪のエリザベートよりも摩利の母マレーネのイメージに近いと思いました。
原文の、「この青く清らにてもの問ひたげに愁(うれひ)を含める目の」なんて、マレーネ、ひいては摩利の瞳の形容にぴったりじゃありませんか。 (摩利は碧眼ではないでしょうが)
また、「被りし巾(きれ)を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて」とありますから、エリスはスカーフみたいな物をかぶっていたようですが、フードをかぶったマレーネ初登場の絵と重なるように思われます。(さすがにこれはこじつけかも?)

つまり、エリザベートもマレーネも両方、エリスの分身と言えるんじゃないか。思音氏の青春時代のエピソードは、ハッピーエンドの『舞姫』なのではないか、と思うのです。
『舞姫』では、豊太郎は本国での出世のためにエリスを捨てるわけです。
欧州から遠い日本へ花嫁となっていく方も一大決心でしょうが、それ以上にこの時代の日本では異国の女性を妻として迎えるという事は今よりずっと抵抗が大きかったと思われます。
『摩利と新吾』でも、物語の後のほうで、マレーネを伴って帰国した思音が親類縁者から絶縁され、暖かく迎えてくれたのは新吾の父だけだったという場面があります。 あまりにも早過ぎたマレーネの死を思うと、結局は悲恋と言う事もできますが、少なくとも思音自身は自らの愛を貫き、まっとうしたという意味でハッピーエンドと言ってもいいと思います。


(66)『題知らず』あれこれ (つづき) 
名前:水玉みかん    日付:6月25日(水)12時05分54秒

欧州留学編で、メーリンク家の人達が登場し始めた時、「マレーネの実家って、こんなに立派な家だったのか!」とちょっと驚きました。
たしかに『題知らず』では、メーリンクという家名は出てこないものの、「気高い心の子爵令嬢」という言葉で、由緒のある家の出身なのだろうとは思っていましたが、でも格式は高いけど現在はあまり裕福ではない貴族の家柄と言う風に考えていました。
だって、仮にも「姫」と呼ばれる立場の令嬢が、夜も更けてから、心利いた付き添いの一人も連れずにベルリンの大通りをうろうろしていて、人品卑しからぬとはいえ、どこの馬の骨とも知れない外国人の青年の世話になるというような事態に陥るでしょうか?
絵を見ると、まるで路上でしゃがみこんでいたかのようなマレーネですが、メーリンク家のお嬢様ともあろう者なら、当然外出時は馬車のはず。19世紀の欧州で、深窓の令嬢が夜道を一人歩くなんて、(つむじ風のウルリーケならともかく)考えられません。しかも、自宅は「はるか郊外」にあるわけですし。
馬車なら(たぶんメーリンク家なら、おかかえの)御者がいるはずで、怪しい外国人の手を借りずとも、急病の場合、大急ぎで帰宅するなり、近くの知り合いの家にかけこむなり、するのが自然と思います。

マレーネ姫もお年頃で、ちょっと冒険をしたかったのね。で、お供の目を盗んで一人歩きしてたら、あいにく具合が悪くなった……のよ。多分。
水玉みかんさんはきっとわかってて遊んでいるのね。多分。(!?)


私の最初の漠然としたイメージでは、身分は高いが今は没落して貧乏な貴族のお嬢さんが、何か用事があって(お父様がやむ終えずした借金を返す金策に走る、とか)、人目をはばかりながら夜道を歩いていたところ・・・・という感じだったのですが。
なんか、絵では、マッチ売りの少女か赤頭巾ちゃんのようですし。

さて、実際にはメーリンク家のマレーネ姫が、思音に助けられているわけで、なぜそんなことになったのか、考えてみました。

もちろん、マレーネ嬢は、ちゃんとメーリンク家の自家用馬車に乗り、信頼できる付き添いとして家庭教師か、小間使いかを同伴していたのです。
ところが、その夜、およばれしたお宅で食べた物が悪かった。出入りの業者が持ち込んだ食材に不備があって、集団食中毒発生。 帰途につく途中で、マレーネだけでなく、お相伴した付き添いと、訪問宅でふるまいを受けた御者も気分が悪くなって、立ち往生。
むしろ、上品に小食なお嬢様よりも、お腹いっぱいに食べた庶民出身の使用人たちの症状の方が重かった。 まだしも動けるマレーネ姫がけなげにも助けを求めて馬車を降りた所へ、思音氏登場。 動けない御者の代わりに手綱をとって、馬車を御し、一行をメーリンク邸へ送り届けましたとさ。(見てたんかい? >水玉)

食中毒などと、どこから思いついたって?
だって、DOZI様の絵では、マレーネさん、お腹を押さえている…。
「おつきの人達」はいるんだけど省略されて、描かれていないだけ。

ちょっとした妄想でした。


(67)校名の由来
名前:水玉みかん    日付: 7月 3日(木)11時42分57秒

ちょっと気になったこと。

「持堂院」という校名の由来は、なにかあるのでしょうか。どこかで言及されていましたでしょうか?

うーん、音(おん)で決めたというか……。別に、由来はないのです…(汗)


或いは、東京方面にお住まいの方なら、それ、と思い当たるような地名かなにかがあるのでしょうか?

『摩利と新吾』に登場する他の学校名。

当時の、各地の実在した旧制高校、私学をそのまま使用、又はアレンジしてあります。


姫花や、額田さまの、「女子修学院」は、京都の修学院離宮からかと思いましたけど、「学習院」をひっくり返したのだったりして。

ライバル校の「不知火高校」は、白鳥騎士の祖父が創立者らしいですから、「しらとり」→「しらぬひ」の「しら」つながりか?
不知火は白縫(しらぬい)に通じますので、「白」つながりか?
辞書によれば、不知火は、“九州八代湾の海上に夏になると現れる無数の火”とありますから、白鳥家は九州の出身なのかもしれません。

ついでに『あ〜ら、わが殿』の「なでしこ女学院」これは、もちろん、“大和なでしこ”からの命名でしょう。


(69)タンゴ?ワルツ?
名前:つばるみ    日付: 7月 8日(火)22時56分57秒

ゆりあ様、皆様はじめまして

「摩利と新吾」読者歴1ヶ月という新参者ですが、書き込みをさせていただきます。
だいぶ以前、まりりん様がこのぺージにて摩利と新吾がパリの夜会で初めて踊ったのは、
ワルツ?それともタンゴと書き込みをなさっていましたが、私なりの考察(?)というか、意見を述べさせていただきます。
 確かに、あの初めての舞踏会で新吾は、「ダンスのパートナーなしでは」と言われた後に、「いえ、せっかくのワルツですから1曲」と答えて摩利とダンスを踊っています。
 数年後、摩利は夜会で聴いた曲から新吾と踊ったのはタンゴと回想していますが、はたして彼らがあの時踊ったのは何だったのでしょうか?

 欧州へ向かう船上で、新吾が摩利にダンスを教わっているシーンで摩利は「ズンタッタ、ズンタッタ」とか「ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリー」といいながらレッスンをしています。これは、明らかに3拍子のワルツを教えてもらったのではと、考えられます。(タンゴは4拍子だし)
 ただ、長い船旅(半月ぐらい?)他の種類のダンスも摩利は新吾に教えたかもしれません。特に、4拍子のタンゴは3拍子のワルツに比べ、日本人がのりやすいリズムではあります。案外新吾は、初めての舞踏会の時点でいくつかダンスをマスターしていたのではないかと、私は考えます。

 また、舞踏会で二人が踊っている姿を見ると、右ページのコマではワルツのポーズの様に見えますが左ページのコマでは、タンゴを踊る姿のようにも見えます。
 つまり、舞踏会の中で、新吾は「1曲‥」と言っていますが、結局1曲だけにならず何曲も(ワルツもタンゴも)二人は踊っていたのではないでしょうか。大胆で美しい二人の姿にあっけにとられる他の人々を尻目に。(すごく痛快ですよね)
 だから、摩利はその時踊った曲を耳にすると(それがたまたまタンゴだった)「ああ新吾と一緒に踊った」になるわけだろうと私は推察いたします。

 ただ、上記にのべた意見のほかに、みなさまがお読みになったら、苦笑あるいはお怒りに(?)なるようなことも考えていたことも、以下に書いておきます。

 1 新吾は、曲の区別がつかず、タンゴが流れているのにワルツと言ってしまっ
   た。
    いやあ、踊りを摩利に教わった時点でこれはないなと思ったのですが。

 2 摩利が記憶違いで、ワルツを踊ったのにタンゴと思ってしまっていた。
    頭脳明晰な摩利が大事な思い出を間違えるはずないですよね。

 この、二つの意見は笑ってお許しください。

あはは。楽しいですね。正解は、(61)まりりんさんの書き込みのところに同じ。


 あくまでも、新参者の意見ですので、皆様方にはまた違うご見解があることと思いますがいかがでしょうか?


(71)「篝」について
名前:    日付: 7月14日(月)23時09分06秒

「あ〜ら わが殿」の頃のリアルタイムのファンです。「摩利と新吾」の雑誌掲載時には、諸般の事情から店頭立ち読み派でした。そのため、話の前後がいまいち掴めずにおりました。家庭事情の改善と、文庫版発行のお陰により改めて「木原としえ」ファン「木原敏江」ファンになっております。

「摩利と新吾」入手した晩は、夫の蔑みにもめげず読み通してしまったものでした。
読み返すたび、いろいろ気が付き、ああそうなのかと思い当たることもあるのですが、「篝」については、どうしても腑に落ちないのです。 「清冽」と評される木原先生の作品の中でどうしても落ち着かないのです。
「夢の碑」外でいろいろな人物、思考、行動をお書きですが、「摩利と新吾」の中で描かれた「篝」は異質だと思えてならないのです。文庫版で、第3巻初めから第5巻3分の1までに亘る長さです。
”おひさま新吾”と”新吾がいなければ篝だった摩利””新吾のいない摩利”
少年期からせ青年期へ移る情緒面、精神面での多きな変化・成長といろいろ考えます。

ただ、どうしても「篝」以前、「篝」以降のストレートな展開と合わないのです。
紫乃さん、夢殿さんほか多彩なキャラクターの中で、唯一悪役風な「篝」にこれだけの舞台を用意し、描き込んだのでしょうか。

…そして、おひさま新吾は、世の中には「友だちになってくれ」の一言が、死んでも言えない人間もいるのだと肌で知り、またひとつ成長するのでした…。


皆様いかがでしょうか。


(77)駆け込みで質問失礼します!
名前:春河    日付: 7月28日(月)11時40分51秒

皆様はじめまして。
こちらのサイトを知り、とても嬉しく拝見しています。
時間がもうありませんので、さっそく駆け込みで質問させて頂きます!
(ってつまらない質問ですが・・・)

1)夢殿さん、姫花さんの家は華族ではないのでしょうか。
夢殿さんの婚約者は侯爵家ですし、夢殿さんの家を見たとき新吾は「摩利の家より富豪だ」的発言をしています。
夢殿さんの性格を見ていても武家出身の華族(しかもかなり格が上の)と感じるのですが、如何なのでしょうか。
その夢殿さんと幼馴染の姫花ちゃんも華族なのでは、とも思うのですが、どうでしょう。

★ うーん。…そのへんは何も考えませんでした。でも、そうですよね。華族さまだったのかもしれない…。きっとそうよ!


2)「摩利と新吾」では英国の寄宿学校の同性愛傾向を話す駐英大使夫人の叔母に対して摩利は 「でもおれたち恋はやはり花のような乙女と」と言っています。
摩利は子供の頃欧州で紳士とのラブ・アフェアのほうが楽しかったとも思っているのに、なぜ「恋は花のような乙女と」とサラリと言ってのけるのでしょうか。

ラブ・アフェアは経験済みだったが、恋はまだなので、年相応に期待もあったのね。多分(汗)


3)思音は大人になってからの摩利と侯爵の関係をどう思っていたのでしょうか。
摩利の子供の頃の侯爵とのラブ・アフェアについて思音は「何事も経験」と言っていますが、 すっかり成人してからの2人の関係はどう思っていたのでしょう?
(私が思音だったら、結構辛い・・と思ってしまいます)

うーん、うーん。ううう…。そうよねえ…(汗)


4)滝川はどうやって、新吾の放浪中に夢殿が摩利を襲ったことを知ったのでしょうか。
これがとても不思議です。このことを知った滝川は会の連中に、夢殿を(摩利がしかけたように)襲わせる訳ですが、いったいどうやって滝川はこの事実を知ったのでしょうか。
ばあやさんも知らない事実だと思うのですが。もしかして摩利の様子から敏感に嗅ぎ付けた?のでしょうか?
だとしたら滝川すごすぎます!

文庫4巻P142で描いてあるので見直してみてね。


以上、つまらない質問ばかりですみません・・。
また、ゆりあ様と木原先生の会話の中で

>ゆりあ   「摩利新掲示板」ですが、「夢殿さんと摩利くんの関係はいつ頃まで続
>      いていのですか」なんて、質問があります。
>DOZI様 う〜〜〜ん、いつ頃までだったんだろう(笑)

とのことですが、私は続いていて欲しい、と思ってしまいました。
何でも手に入る(本人の努力&家の力)夢殿さんの唯一手に入らなかったのが摩利だと思うと悲しく切なくなるからです。
そして、彼が本当に欲したのは摩利だけだったのではないか、とも思うからです。
全てを手にしながら、本当に願ったものだけ手に入らなかった夢殿さん。
圧倒的な実力を持ちながら、常に孤独な夢殿さん(だからこその夢殿さんなんですが)。
四季、飛竜、紫乃といった対等に付き合える友人を次々に失ってしまう夢殿さんの孤独を考えると つくづく、せめて関係だけでも摩利と続いて欲しい・・と思いました。
摩利の欧州秘話のように、夢殿さんのお話も見てみたい・・・と常に思っている夢殿さんファンですので、 ついつい夢殿さんに力を入れてしまいますが・・。

最終回については、私はハッピーエンドだ!と思った1人です。
新吾が自分と全く同じ時刻に死んだこと。
新吾の最後の言葉が、一ニ三ではなく摩利だったこと。これだけでもう摩利は報われたような気がするからです。
そして死んでようやく、肉体を離れて生きることが出来る、という点でも楽になるのでは、と思うからです。
と、もっときちんと書きたいですが、時間が無さ過ぎる・・・ので、これで終わらせて頂きます。
以上、長々と書きましたが、よろしくお願いいたします。

木原先生、皆様ともにお体お大事になさってくださいね。


引用転載厳禁(2004.10.21 up)

「摩利と新吾ネタバレ掲示板」へのお返事(1)

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