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タスマニア紀行 その5

5月24日(火)20時41分3秒
出会った人たち。
 もともとオーストラリアは英国で罪を犯した人の流刑地で、その流刑先でさらに罪を犯した人がタスマニアに送られた。そして、タスマニア送りにされてもめげることなくさらに罪を犯すと、タスマニア東南部の半島ポートアーサーに送られた。
 そんな歴史もあってか、広いオーストラリアでもタスマニアはさらに地の果てという印象でもあるのか、観光の本番は夏ということなのか(なにしろ南極のお隣の島だ)、国内旅行のオーストラリア人が多かった。
 観光施設や宿泊施設は明かにオフシーズン態勢で閉めているところもあり、水曜日〜日曜日のみ営業という飲食店も良く見かけた。

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写真左
 二日目に泊ったB&Bの居間。
 数年前の旅行で飛びこみで泊った夫が非常に気に入って、今回の宿泊は彼の中では既定事実だった。といっても予約したわけでもないのだが。
 客室は二階の三部屋だけで、一階は居間になっている。B&Bの居間のお約束なのか、シェリー酒、ポルトワイン、ミルクティーのセットが用意されていて、宿泊客は自由に飲める。
 夕食後、薪ストーブの前で宿泊客全員(といっても夫婦三組だけだが)が集まって、好きなものを飲みながら話に興じた。
 夫が「数年前のタスマニア旅行にも妻を誘ったが、仕事が忙しいと断られた」と言ったら、「そりゃ、仕事は大事よ!」「夫婦なんて、ふたつの円の一部が重なっているようなものよ」「そうそう、その円も近寄ったり、離れたりするのよね」と、元気なオーストラリアン・ワイブズだった。
 翌朝、食堂に姿を見せた宿の女主人が「三部屋とも埋まるなんて、とっても珍しい」と言っていた。

写真右
 海辺の宿に泊った翌日、海沿いにドライブした。写真の右手奥にぼんやり見ているのが、タスマニアの北海岸線。ちなみに、これは銀塩カメラの写真をスキャナで読みこんだ画像。
 暖秋?のせいか、上げ雲雀(ひばり)は歌っているし、ツバメは身ごなしかるく飛びまわるし、日本の晩秋のイメージとはかけ離れた一時だった。


 タスマニアにしてはにぎわっている街(しかし街中に信号は一つもなかった)のレストランでは、材料の仕入れに遠出をするから月曜日も休みにしていると言っていた。(私が彼女の英語を聞き違えていなければだけど)
 20代後半と思われる夫婦が経営するそのレストランでは、「まさかこんな小さな町で国際水準のお料理が食べられるとは」と、夫ともども感動した。それとなく尋ねたら、シェフはシドニーのホテルで修行したのだと、夫人が嬉しそうに話してくれた。
 で、そのシェフ、日本人の私たちに言った。
 「いつか、日本に行きたいです。まだ行ったことないんです。日本の車が大好きなんです。ニッサンのスポーツカーが。スカイラインGT−Rが大好きなんです!」
 …最後は遠い目になっていたような気がする。

 トレッキング、登山、海岸散策と続いて、観光クルーズにも参加した。かなり大きな双胴船で乗り心地良好、前世紀にグレートバリアリーフでは船酔いで惨敗したのが嘘みたいだった。

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写真左
 クルーザーのトレードマークは、まぼろしの動物「タスマニアン・タイガー」
 一階は客席と売店、二階の正面に操舵室、三階というか屋上は吹きさらしの展望席。

写真右
 一階先端のデッキにて。夫の登山用ヤッケを着込んでいたが、吹きつける寒風で背中がふくれあがっている。
 あまりの寒さにデッキにいつく物好きは少なかったが、寒さ嫌いの私は本格的防寒装備が功を奏して終始ぬくぬくしていた。手袋までしてたの、私だけだったものね。

 乗客は50人は越えていたかな。100人にはなっていなかったと思うけど。

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 クルージングの途中で立ち寄った小島。囚人虐待があったとされ歴史の恥部ということで、公式の記録は隠滅され、近年になって実態解明の研究が進められている。
 乗客に取り囲まれるように立っている男性は、油を染み込ませた厚手の綿布のコートにゴム長靴と往時を彷彿とさせるいでたちで、よくとおる声を張り上げ、囚人収容施設の跡の説明をしている。芝居気たっぷりの話法に、乗客たちは爆笑の連続だった。
 が、何を言っているのか、私たちにはわからなかった。ハードなオーストラリア訛りだったからだ(ということにしておこう)


 東洋人は私たちより年配の日本人夫婦、おなじく年配の中国系夫婦、20代と思われるカップルと、私たちの計4組。
 20代の彼女とは最初から笑顔をかわしながらも、お互いに身元が読めなくてちょっとぎこちない感じだった。
 しかし「どちらからいらしたんですか?」と、こちらから英語で話しかけたら、それまでのぎこちなさはどこへやら、しゃべるしゃべる。
 ベトナム生まれ、メルボルン在住の中国人のご夫婦でした。
 でも、母語(マザー・タン)が英語なのよね。楽だろうなあ。いいなあ。

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 同じくクルーザーに乗っていた黒人のカップル。
 どこの国の人かしら、僕はインド系だと思う、うん、肌の色も彫りの深い顔もインド・アーリア系という感じよねと、夫と話していました。
 強風にあおられて私の髪はばさばさなのに、彼女が背中で束ねた髪はふわりともしない。同じ黒髪なのに、長さも同じくらいなのに、髪質が違うんだろうな。手触りはどんな感じなのかしら。触ってみたい――、なんて思っていたけど、こらえました。
 クルーズ中は笑顔で互いに意識しあっていたが、言葉は交わさずじまいだった。しかし、夕食どきに町中でばったり再会した。というか、狭い町だし、黒人も東洋人も目立つ存在だし、避けようがないとも言えるけど、せっかくだからちょっと立ち話。
 そのふたりは、カルフォルニア、サンフランシスコから来たそうです。う〜〜ん、何時間くらい飛行機に乗っていたのかしら?
 (よっぽど髪にさわらせてと言いたかったけれど、がまんしました)
2005.07 10 up

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