通奏低音

(3) メーリンクの館

 風格のある建物は年月を経てますますその威を増してゆく。このメーリンクの館も伯林(ベルリン) の地で四季折々の樹木に彩られながら揺るがず歴史をまとって生気に充ちている。
 かつてはマレーネ姫が、そしてウルリーケが、遥か東洋から取り寄せた色とりどりの絹糸で 刺繍をしていた椅子で、今夜は栗色の髪の少女が針を運んでいた。15歳くらいだろうか。 細い指先にリモージュの刺繍用の指貫を当て一心に針を進めては、時折、灯かりに自分の作品を かざして出来栄えを確かめている。その目元が心なしか摩利に似ている。
 「思音おじさまと摩利おじさまがお着きよ」
声に呼ばれて、少女は部屋を出ていった。

 「何で、とうさまとおれが同じおじさまなんですか」
少女が居間に入ると、摩利がウルリーケと昔ながらのやりとりをしている。
「だって、思音におじいさまって言うのは失礼だし、摩利はおにいさまって言う年ではないし。
そうしたら、どちらもおじさまでしょ?」

 ウルリーケは、振り切れない思い出をアバンチュールで紛らわせていた頃とは別人のようだ。 事実上の女主人としてメーリンク家とこの館を守ってきたここ10年の自信が、ゆったりとした 微笑みににじんでいる。
 しかし、ちょっとすねた口調で摩利をからかっては嬉しそうにはしゃぐ姿は、 摩利と“姉妹ごっこ”をしていた頃のままだ。

 ウルリーケのそんな姿に、栗色の髪の少女が目を見張る。
「おかあさま、なんだか、今日は…」
言葉を捜しかねているらしい。
 自分の娘が戸惑う様子を微苦笑と共に横目で見ながら、シュテファンが巴里から長旅をしてきた 思音を気遣う。
「もう今日は遅いし、お疲れでしょう。こみいった話は明日からいくらでもできますから、 伯爵、今夜はゆっくりおやすみ下さい。夜食の用意は出来ているかい、ウルリーケ」
「ああ、ご心配なく。摩利が気を遣ってサロンカーをとってくれたので、食事は済んでいます。 私はお茶をいただければいいのだが、摩利くんはぶどう酒でもいただきますか?」
「いえ、おれもお茶を頂きたいな。」
暖炉の両側に対をなすように掛けられている自分の祖父母の肖像画に目をやりながら摩利が答えた。
「思音がマレーネを想って再婚しないでいてくれるのは嬉しいけれど、摩利は誰を想って 結婚しないのかしらって、おばあさまがいつも嘆いていたわ。」
摩利の視線に気付いたウルリーケが独り言のようにつぶやいた。
「まさか、摩利がささめちゃんを想っていたなんて。もっと早く言ってくれればよかったのにって、 天国でおばあさまが言っているんじゃないかしら。」
 伯爵も摩利もただ微笑んだ。

 かつて、ささめが他の男に嫁いだ時に気付いた「好き」という自分の気持ちは、 恋ともいえないほどに淡いものだったが決して忘れてはいない。今の摩利にささめが 空気のようなやすらぎをもたらすのも真実だ。そして、ささめとの間に生まれた子どもの 可愛いさも何にも代え難いと思う。
 それでも、自分の中に新吾への想いは埋火(うずみび)のように確実に残っている。 いや、残っているのではない。この想いこそが自分の人生を支えてきたのだと 摩利は知っている。
(1999.12.13 up)

通奏低音 (2)契 約 / 通奏低音 (4)悲劇と喜劇と活劇

DOZIさまが良いの! 目次

HOME PAGE