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2.シュレーカーの生涯(年譜)

1878年
3月23日モナコに生まれる
父イグナツはゴルチ・イエニカウ(プラハの東80km、マーラーの生家に近い)出身
短期間ウィーンの宮廷写真家であったが、その地位に安住せず新しい技術、新しい世界を求めて各地を 転々とした
1888年
フランツ10歳の年、リンツで父イグナツ亡くなる 母は4人の子供を連れてウィーンへ移る
1892年
ウィーン音楽院に入学 ロベルト・フックス(ツェムリンスキーの師)に学ぶ
1896年
18歳の年、ロンドンで「ハープと弦楽のための愛の歌」が演奏される
1908年
クリムトが主宰した展覧会のオープニングとしてパントマイム「スペイン王女の誕生日」のための 音楽が上演される 作曲家としての出世作であった
ウィーン・フィルハーモニー合唱団を創設(「グレの歌」初演に参加)
1909年
17歳の歌手マリア・ビンダーと結婚 彼女は夫の作品の重要な出演者となる
1912年8月18日
フランクフルトで歌劇「はるかなる響き」初演 予想を上回る大成功
1913年
2月22日シェーンベルクの「グレの歌」を指揮して初演 大成功を収める
歌劇「からくり鐘と王女」初演
1918年
フランクフルトで歌劇「烙印を押された人々」初演 大センセーションとなる
1920年
1月21日フランクフルトで彼の最も有名な歌劇となる歌劇「宝探し」初演
ベルリン高等音楽院の院長(当時のドイツにおける最高の権威)となる
1924年
ケルンで歌劇「狂える炎」初演 彼の人生に影が差す結果となる
この年を境にシュレーカーの歌劇の上演頻度が激減
1928年
ベルリンで歌劇「歌う悪魔」初演 指揮はエーリッヒ・クライバー
1932年
ベルリンにおける歌劇「ゲントの鍛冶屋」初演がナチの妨害を受ける
1933年
1月30日ヒトラー首相に
3月24日全権委任法成立、ヒトラー独裁始まる
4月7日職業官吏制度再建法発布、ユダヤ人を公職から追放
シュレーカーもベルリン高等音楽院を逐われる
11月5日設立された帝国音楽院の院長にはリヒャルト・シュトラウス任命
フライブルクで初演される予定だった歌劇「クリストフォーラス」は上演できず年末に脳溢血で倒れる
1934年
3月12日フルトヴェングラーがプロイセン国立管弦楽団を指揮してヒンデミットの交響曲
「画家マチス」を初演し大成功を収める ヒンデミット事件の端緒
3月21日56歳の誕生日の2日前に亡くなる

(後史)
1937年7月19日
ミュンヘンで「退廃美術展」開幕。ナチによる芸術面での焚書
1938年5月26日
デュッセルドルフで「退廃音楽展」開幕
1944−45年
アウシュビツ、テレジンなどでシュルホフ、ウルマンなどの多くの芸術家が命を落とす

1978年
フライブルクで歌劇「クリストフォーラス」初演
1979年
ミヒャエル・ギーレンが「烙印を押された人々」を取り上げる
1980年代
ドイツ各地でシュレーカー作品次々に上演される
1990年11月17日
若杉弘がマーラーチクルスの一環で「烙印を押された人々」前奏曲を日本初演
(邦題「劇のための序曲」 ほかに「永遠のいのちについて」「白鳥の歌」も初演)
1991年
ロサンゼルス、シカゴ、ベルリンにおいて「退廃芸術展」開催
1995年8月
日本でも鎌倉で「退廃芸術展」開催
2000年1月27日
大野和士がオペラ・コンチェルタンテシリーズで「はるかなる響き」を日本初演
日本で初めてシュレーカーのオペラ全曲上演

*前出参考文献から編集(文責:堀江信夫)

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